冬の茶づくりを訪ねて静岡・牧之原[駄農園]へ
つくることにひたすらまっすぐな夫妻の決心に出会う<前編>
2022.02.22 INTERVIEW茶のつくり手たち
- ほうじ茶
- 静岡
静岡県牧之原市、髙塚夫妻が営む[駄農園]で、冬のお茶づくりを見学させていただいている。
特製の釜の中で、3時間ひたすら茶葉を人力で焙じてつくる[駄農園]のほうじ茶。成功率はおよそ3割で、髙塚さん夫妻が良しと言えないものは、他人に飲ませることなく畑へと還してしまうという。
今回の取材も、髙塚さん(特に最終決定は奥さまの朋子さんが握っている様子)が首を縦に振らなければお蔵入りになる可能性もあるという。
変わらぬペースで茶葉を混ぜつづける貞夫さん。我々は見守る他ないのだが、ここで「お茶を淹れましょう」と朋子さんが声をかけてくれた。お茶をいただきながら、ゆっくりと朋子さんにインタビューさせていただくことにしよう。
淹れていただいたのは「
「祖父(貞夫さんの祖父・初代園主の吾郎さん)は、商売よりもお茶を研究することの方がすごく好きで、しょっちゅう試験場(現在の静岡県農林技術研究所茶業研究センター)に通っていたような人だったらしいです。研究熱心だったんですけど茶畑の管理は得意ではなかったらしく、茶畑が草ボーボーで『お前は
「牧原草人 藤かおり」は、2014年以降、静岡の銘茶コンテスト「ふじのくに山のお茶100選」に選ばれるなど、[駄農園]の看板商品の一つとなっている。次に、[駄農園]という名前の由来についても聞いてみた。字の通り読むと「駄目な農園」ということになるが……?
「駄農園の『駄農』もおんなじような意味ですね。初代が経営を顧みず研究に没頭して、『お前は駄農だな』って友人に言われたのですが、またそれを気に入ったのか、自ら[駄農園]と名乗るようになったんです」
牧之原といえば、深蒸し茶発祥の地と言われるほどの一大産地であり、育てる品種はといえば「やぶきた」ほぼ一択と言ってもいいほどだったという。そんな中で、多い時には50数種類もの品種を栽培していたというから、牧原草人こと吾郎さんはかなりユニークな人物だったようだ。二代目の孝さんは、すごく穏やかな人で、やぶきた全盛の時代にあっても品種の多様性はある程度残してくれたという。
「今は品種によって栽培面積の大小はありますが全部で13種類あります。当時の50数種類に比べたら減りましたが、祖父からの影響というか、先代もやぶきただけにしないで残してくれたので、今はそれがすごく役に立ってるというか。いろんな品種でシングルオリジンを特徴として出せるのはそのおかげかなと思っています」
これだけの品種を育て、これだけさまざまな製法で、二人でお茶づくりをつづける理由は何なのだろうか? 一つの大きな転機は2年前、お茶の卸しを止める決断をしたことだという。他の農産物や海産物と同じように、茶農家は基本的には茶葉を収穫し、ある程度保存の利く半製品の状態(荒茶)で製茶問屋(茶商)に卸すというのがその仕事の範囲となる。その販路をなくすというのは、大きな決断のはずだが。
「その理由としては、茶商さんがほしいお茶と夫がつくるお茶の方向性が違ってきたということだと思います。どっちが正統かといったら、茶商さんの方がもちろん扱う量も多いのでしょうが……。夫の中で茶商さんの要望通りにつくれないというジレンマは数年前からあったそうなんです。ただ、元々3分の1くらいは直販をしていたので、茶商さんとの繋がりがなくなったら全てなくなるということではなかったですし、うちは品種も多かったので、そういう意味では恵まれていて。夫が『別の職業に生まれ変わったと思ってやればいい』と言っていたのですが、結果的には私たちを自由にしてくれたんだねと今では思っています。そうして気持ちを切り替えて再スタートしてみると、お世話になっている方たちから『こういうお茶がほしい』とか『こういうのやらないの?』と言っていただける、それが嬉しくてどんどん茶種を増やしたり、白茶とかより長いスパンでつくるお茶とかも試したり、これからはそういう方が楽しいのかなって思っています。励ましてくれる方も多くて、ご縁もどんどん広がっている実感があって、羽が生えたようなんです」
休みを惜しまずお茶をつくりつづける裏には、こんな決心があったのだ。決心や決断というとどうしても強烈な印象になってしまうのだが、朋子さんは相変わらず笑みを絶やさず、その選択が正しいと主張するわけではなく、単純に「楽しいと思える方を選んだがゆえの今」を正直に伝えてくれたという感じだった。
貞夫さんの茶葉を混ぜる手は相変わらず動きつづけている。前編の動画でご覧いただけたと思うが、実際には手だけではなく、体全体を使って釜の中を動かしつづける。
火加減は段階的に少しずつ強められていったようだ。次第に釜からうっすらと煙が立つようになってきた。朋子さんも近くに寄り、最終盤に差し掛かる焙煎を見守る。
「もうあと3分くらいプラス」と貞夫さん。
焦げてしまえばアウト。浅すぎても不完全。最後の見極めもまた、毎回難しい決断になる。
手早く釜から上げて、篩にかけてから、台の上に広げて粗熱を取る。
お盆に、前回の成功したほうじ茶(前編で飲んだもの、手前)と、今できたほうじ茶(奥)を並べてみる。
見た目にはかなり近い印象……お味はいかに!
ほうじ茶(暫定)を淹れ、「見た目いいね」とつぶやく貞夫さんに視線が集中。
「何だろう、この緊張感(笑)。では、いただきます」
「苦味なし、焦げなし。……どうですか? 素直に言ってください」と私たちに問いかける貞夫さん。
実際、美味しい。甘さを感じるやさしい香ばしさと、深蒸し茶葉のおかげか、キリッとした苦甘さで口の中がじんわり温かく、しずる感覚すら覚える。前回の方が、甘さが若干強かったかもしれないけれど、今回の方が好きかもしれないです、と伝えると。
「よかったです。でもそれはやっぱり作ってるところを見たから、思い入れがあるんだと思いますよ(笑)」と朋子さん。確かに、贔屓目になった感は否めないが、それでもこのほうじ茶で満たされたのは嘘ではない。飲み比べた末に朋子さんからも太鼓判をいただき、今回のほうじ茶は見事成功となった。
(一同思わず拍手)
貴重なお茶づくりの工程をたっぷりと見させてくれた高塚さん夫妻。
焙煎中は釜に集中していた貞夫さんだが、どんなお茶を目指しているか、という質問に次のように答えてくれていた。
「抽象的だけど、飲んでて滲みちゃうお茶。飲むと『あ、いいね』ってなるお茶ならそれでいいかなって。うちのお茶は味が濃いわけでもないし、旨味が強いわけでもない、でも“お茶らしさ”があると思っている。味じゃなくて風味があると。本当に『去年と同じの』と言って何十年と買ってくれる方たちがいる。あとは最近『もらって気に入ったから買いたい』と言ってくれる人がいたり。そういう待ってくれている人がいるから、しっかりやらないと、と思う。前は、周りがいつから刈り始めるかそわそわしていた。つまり隣りを見てやってたってことなんだけど、今はお茶を見てやってる」
自然に口から出る言葉一つひとつに、そして二人がつくるお茶に、代々つづく[駄農園]らしさが溢れている。
駄農園|Danouen
1952年、祖父の髙塚吾郎さんの代から70年つづく家族経営の茶農園。一大産地の牧之原において珍しく代々多品種栽培を行なってきた他、釜炒り茶や紅茶など独自のお茶づくりを行う。3代目の貞夫さんと妻の朋子さんは農業大学で出会い、現在ほぼ二人で手摘みの釜炒り茶から深蒸し茶、紅茶、ほうじ茶まで幅広いお茶づくりを続けている。月2回ペースで東京・世田谷代田朝市に参加し直接茶葉の販売をする他、オンラインでの販売を行なっている。
danouen.com|danouen.stores.jp
instagram.com/danouen.greenteafarm
Photo: Taro Oota
Text & Edit: Yoshiki Tatezaki
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内容:フルセット(グラス3種、急須、茶漉し)
タイプ:茶器
内容:スリーブ×1種(素材 ポリエステル 100%)
タイプ:カスタムツール