• あの日消えてしまった「天空の茶の間」から
    片平次郎さんは何を見つめるのか<後編>

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    あの日消えてしまった「天空の茶の間」から 片平次郎さんは何を見つめるのか<前編>

    台風15号の影響により被害を受けられた皆さまにお見舞い申し上げます。 今回は、静岡市清水区の両河内(りょうごうち)地区で、豪雨による被害を受けた茶園[豊好園]で取材をさせていただきました。園主・片平次郎さんのご厚意により…

    2022.11.04 INTERVIEW茶のつくり手たち

    9月23日夜から発生した豪雨によって崩落してしまった「天空の茶の間」。静岡市清水区両河内で3代つづく茶園[豊好園]の顔であり、日本を代表すると言っても過言ではない茶の名所。それが文字通り消えてしまった今、次郎さんは何を感じているのか……。

    過去50年間、台風や大雨でびくともしなかった茶畑で起こったまさかの地滑り。2019年からはテラスが設けられ「天空の茶の間」として、多くの人々が訪れ、「奇跡みたいな場所」でお茶の時間を過ごした。次郎さんや豊好園のSNSによって被害が知らされると、多くの励ましのメッセージが届いた。

    「みんな、それぞれの思い出と一緒にメッセージくれたりして。ありがたいと思いましたね。それほどみんなに見てもらえていたんだって。注目される畑だったんだなとか、農家だったんだなとかって再認識させられたというか。秋冬番も始まるし、全部に返事することはできなくて『ごめん!』ていう感じだったんだけど、なおさら『お茶、しっかりやらないといけないな』『いろんな人が俺を見てるな』っていう気になりましたね、やっぱり。だから、変なことできないというか、弱音吐いたって誰もその言葉求めてないよなと思うし」

    現場を訪れた時、次郎さんは「もうこれ無理だな」と思ったという。「僕はもう、正直、茶の間はやめようと思ったんです」。そう当時の心境を振り返る。

    「『また頑張ってください』という言葉が多く来たので、あぁやっぱやるべきなのかな……と思い始めたんです。それでも、楽しい場を本当に取り戻せるのか?って今でも思いますけど、それでもやった方がいいことなのかな?って思ったり。それでそう、翌日の朝だったかな、母が『やっぱりもう一回、茶の間作ろう』って言ったんです。あの人がそう言うんだ、じゃあ作ろっか、という気持ちになったかな」

    天候に恵まれれば左手に富士山を眺めることができる。さらに早朝、運が良ければ、雲海が眼下に広がるまさに奇跡のような茶畑。元は、次郎さんの父、先代の豊さんがその手でつくった茶畑だ。

    「元々はみかん畑だったんですよ。親父が就農する頃、だから50年前ぐらい。当時みかんが大暴落したんです。その時に、みかんを切ってお茶を植えたんです。上から下まで、全部、やぶきただった。最初は列も揃ってないような昔ながらの茶畑だったのを、親父が下から段々につくり直していったんです。それは僕も覚えてる。今6年目くらいになる「せいめい」(茶の品種)を最後に改植して、ようやくこの山が“終わった”、刈りやすい畑になったっていうところだったんですよね。だから、親父からしたら、思い入れが強い。この傾斜を全部人力で起こして作ったのが、なくなっちゃったので。結構、親父はへこんでますね」

    「天空の茶の間」として人気絶頂であったのはもちろん、茶畑としても長年をかけて整え終えて、いわば脂がのったような状態。惜しいという言葉では表せないはずだが、次郎さんは感傷に浸りすぎることはないようだ。

    「俺は皆さんが言うほどへこんではないですよ。たまたまうちの象徴的な山がなくなっちゃったっていうのは痛いですけど。茶の間ができてから3年間ぐらい。結構な数の人が来てくれました。短い期間でたくさんの人が来て、こういう終わり方になるって、すごい、ある意味伝説だなとか思っちゃいます。百恵ちゃんがマイクを置いた時みたいな。だから、ただ流れちゃっただけじゃなくて、大勢の人たちの記憶の中には今もある畑なので、普通の畑とは違うって気はしますよね」

    「俺は茶農家なんだ」

    取材当日も、山の麓にある茶工場「ぐりむ」ではものすごい勢いで生産ラインが稼働していた。次郎さんが言う「秋冬番茶」の製茶だ。初夏に新芽が摘まれた後も、茶の木はつづけて芽を伸ばす。この時期の葉は大きくて硬く、枝も太いためコンテナは容量いっぱい、蒸し機もフル稼働だ。

    この工場が無事だったことがなによりだと次郎さんは繰り返し話していた。土砂は工場の裏手を崩し、間近に迫っていたものの、幸運にも無事だったという。

    「山の神さまに『お前はまだまだお茶をたくさんつくりなさい』って言われたのかもしれないですね。『もう一個上の、ちゃんとした茶農家になれ』と。『観光業じゃ、ダメだぞ』って」

    そう冗談めかして言う次郎さん。「茶の間」が収益のもう一つの柱になっていたことは間違いないし、それは次郎さんも素直に感謝するところだ。ただ、自分の土台はお茶をつくって売ること。20代からお茶づくりをつづけきた、自分の原点を再確認するきっかけになったといえるようだ。

    「工場でも何かが詰まったりとか生産ラインのトラブルが起きた時、スタッフに『トラブルに対処することで成長するんだよ』ってよく言うんですけど、一緒だなって思いました。まさに、こうして被災すると、自分が成長しなきゃだめだって思わされます。些細なことでも、何かうまくいかない時に人は考える。トラブルが人を成長させます」

    最後にはこちらが励まされたような気持ちになっていた。もちろん、あえて口に出さない不安や悲しさはあるはずだが、目の前の惨状にひるまず、心配する声に甘えず、前を向いて、目の前に力を注ぐ。「僕ら農家って、自然の一部で仕事をしているので、こうなっちゃったからダメだって終わるわけにはいかないじゃないですか」という言葉の強さは、やはり次郎さんの口から発されたからこそだ。

    「僕は本当、お茶つくってるだけなんで。お茶つくってたら、いろんな人が助けてくれたんです」と笑う次郎さん。3年前、天空の茶の間が実現したのも、実際その通りなのかもしれない。そして今、その再建に向けて実施されているクラウドファンディングでも早くも目標を超える多くの支援が寄せられている。

    [豊好園]としての当面のチャレンジは、茶の間の再建ということになる。地滑りをしたかつての場所ではなく、今回被害のなかった安全な場所で万全を期すことになるという。早ければ来年の新茶を待たずに「新・天空の茶の間」が完成する予定だ。

    もちろん茶の間も楽しみだが、災害級豪雨を乗り越えた茶畑が来年どんなお茶になるか。
    茶農家・片平次郎のつくるお茶を楽しみに待ちたい。

    片平次郎|Jiro Katahira
    1984年生まれ。静岡県の中央に位置する山間部、両河内で日本茶の栽培・製造販売を行なう豊好園の3代目園主。標高350mの斜面に広がる茶畑からは富士山やときに雲海が望め[天空の茶の間]として広く知られる茶畑となった。2022年9月の台風15号で被災し消失した[天空の茶の間]は、現在クラウドファンディングを通じて多くの支援を受けて再建に向けて動き出している。
    https://camp-fire.jp/projects/view/630264(「天空の茶の間」再建のためのクラウドファンディング)
    houkouen.org
    instagram.com/japanesetea_houkouen (instagram)

    Photo: Yu Inohara
    Text: Yoshiki Tatezaki

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