• 静岡のお茶が目指すべき未来<前編>
    島田市 [カネス製茶]小松幸哉さん

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    山梨に生まれ、東京で結婚し、サラリーマンとして働いていた。仕事で一息つく時、決まって飲むのはコーヒーだった。お茶畑も見たことがなかった。

    しかし27歳になった頃、妻の実家が営む静岡の製茶問屋を継いでくれないかとお願いされた。

    現在[カネス製茶]の社長を務める小松幸哉さん(トップ写真左)は、そうしてお茶の業界へと足を踏み入れた。

    「東京で一生サラリーマンとして働くよりも、お茶に夢を描くのもいいかなと思ったんです。もちろんお茶のことなんて全然わからないので、最初の1年は牧之原にある国立の茶業研究所でお茶のイロハからたくさんのことを学びました」

    こうして小松幸哉さんの人生は、新たな幕を開けた。

    代表取締役社長の小松幸哉さん

    カネス製茶は静岡県の中央、島田市にある製茶会社。島田市はお茶どころ静岡県の中でもお茶の名産地として名高いエリアだ。市の中央を流れる大井川の中流域には、山間部が広がる川根地区がある。朝夕の寒暖差が大きく、霧も発生しやすいこの地区で育つお茶は、古くから宇治茶や狭山茶と並び銘茶・川根茶として知られてきた。そして下流域西岸に広がる牧之原台地には、日本一の茶園「牧之原茶園」が広がっている。

    今回はそんな島田市に会社を構える[カネス製茶]に伺い、その歴史と昨年ローンチしたボトリングティーブランド「IBUKI bottled tea」について話を訊いた。迎え入れてくれたのは、[カネス製茶]の3代目で現代表取締役社長の小松幸哉さんと、その息子でボトリングティーのブランディングマネージャーを務める小松元気さん。

    前編では、3代目の小松幸哉さんに、製茶問屋という視点から静岡の茶業界について、そしてボトリングティーブランドを立ち上げるに至った経緯を訊いた。

    お茶屋の信頼を勝ち取るために

    創業から60年以上の歴史をもつ[カネス製茶]。現在はお茶の製造・卸販売を手がける会社だが、その始まりは“斡旋業”だったという。

    「今ではそういった業態はだいぶ少なくなりましたが、昔は茶の取引の仲介を行う斡旋業者が生産者と茶商をつなぐ役割を果たしていました。生産者からお茶の見本を借り、そのお茶を必要とする茶商へ届け、価格の交渉をし、売買を成立させる、そういう商売です。このあたりの農協に勤めていた私の義理の父が独立し茶の斡旋業を始め、会社を創業したのがカネス製茶の始まりです」

    カタカナの「ス」に曲尺をかぶせたカネス製茶の屋号。大工が寸法を図るのに用いるL字型の曲尺は、「真っ直ぐ」という意味が込められているという。鈴木健次商店というのは創業時の社名

    そして時代の流れとともに、斡旋業から今の製茶問屋の形に移っていった。お茶農家から荒茶を仕入れ、それを製品に仕上げて、お茶の販売店に卸していくのが製茶問屋。いわばメーカーと問屋を兼ねた業態になるが、これはお茶業界特有のものと言えるだろう。

    問屋ごとには、それぞれが得意とする卸先がある。スーパー、百貨店、葬祭関係、海外などさまざまな販路がある中で、[カネス製茶]が昔からメインの卸先としてきたのは、お茶の専門店だ。

    「昔のお茶屋さんは、その店独自のお茶を出すことに強いこだわりがありました。そういったお店にお茶を納めるとなると、完璧な個別対応が必要です。そのお茶屋がどんな味を求めているか、理想とするお茶の要望をしっかり聞いて、それに合わせたお茶をつくっていく。1軒1軒そうして対応するので、とても非効率的なやり方ですけど、お茶屋さんの要望に応えることができれば信頼を得て長くお付き合いいただけます。そうして今までなんとかやってきました」

    静岡茶の未来を真剣に考えよう

    静岡に来るまでは、そうしたお茶業界の商売のあり方はもちろん、お茶についても何も知らなかった幸哉さん。

    お茶の世界に足を踏み入れてからは、茶業研究所での経験をはじめ、お茶を一から徹底的に学んでいった。そして今では日本で39名しかいない「日本茶鑑定士」の資格を得るまでになった。

    日本茶インストラクターなど、お茶に関する資格の賞状が並ぶ。こういった資格を取得するのもお茶を学ぶモチベーションになったという

    そんな幸哉さんに、これからの静岡のお茶づくりが何を目指すべきか尋ねてみた。

    「近年は鹿児島もお茶づくりに非常に力を入れていて、生産量が鹿児島に抜かれるとかそういったことが話題になりますが、今はそんなことで争う時代ではありません。昔のようにお茶が飲まれる時代ではありませんから。お茶をたくさんつくることを考えるのではなくて、お茶を飲んだ方にどう喜びを感じていただけるか、それを真剣に考えなければなりません」

    幸哉さんは静岡だからこそできるお茶づくりを極めていくべきだという。

    「静岡にはお茶づくりの歴史はもちろん、県内の中山間地には多くの茶の名産地があります。川が近くを流れ、山の斜面に沿うようにつくられた茶畑は、昼夜の寒暖差や川霧の発生など、お茶の品質を良くする条件が整いやすいです。それらの茶畑は機械化するのが難しく、大量生産はできませんが、高品質のお茶をつくります。そうした古くから静岡で受け継がれてきた茶づくりをこれからも残していくことが大切です。これは、静岡でなければできないことだと思いますし、静岡茶が生き残る道でもあります」

    カネス製茶の契約農家の茶園。島田市北部の川根地区の山間にある。そばには大井川も流れている
    取材の際、静岡産の深蒸し茶を幸哉さんに淹れていただいた。このあたりのお茶は深蒸し茶として仕上げるのが主流だという

    しかし、現在その静岡の茶づくりの現場は非常に危機的な状態だと幸哉さんは語る。2011年の東日本大震災および原発事故での風評被害は静岡にも波及し、売上がガクッと下がってしまってから、右肩下がりの状態が続いているという静岡茶業界。さらに近年は茶業に携わる人の高齢化が進み、茶業を畳んでしまう人が非常に多くなっているというのだ。おそらくそうした状況は今後も続いていくだろう。

    昔のような大量生産・大量消費という経済モデルがますます難しくなっているからこそ、高品質で高価格帯のものを扱い、嗜好品としてのお茶の価値を高めていくことが、静岡のお茶づくりのひとつの活路になると幸哉さんは考えている。

    メディアで取り上げられたからこそ感じた、ブランディングの重要性

    品質のいい、静岡ならではのお茶づくりを守り、継承していくため、幸哉さんがひとつの勝機を見出したのがボトリングティーだ。ボトリングティーとは、特別な製法で茶葉のポテンシャルを最大限に引き出しボトルに詰めた、リキッドタイプの高級茶のこと。

    [カネス製茶]は2016年に、ボトリングティー「息吹」の販売を開始した。価格は750mlで一本2万円。当時、ボトリングティーに参入している会社は他にほとんどなかった。

    「周りからは売れるはずないよ、と言われました。自分も最初はこのボトルがフックになって、ほかのお茶を買ってもらえればと、そんな思いでつくりました。そうしたら、高価格のお茶という珍しさからテレビや雑誌に取り上げられるようになって、思いのほか売れるようになったんです」

    そうした予想外の反響に喜びつつも、同時に幸哉さんは危機感を抱くようになっていった。例えばバラエティ番組で「息吹」が取り上げられる時、それは“高価格のお茶”という話題性ありきだった。まずその価格に驚き、実際に飲んでみてその味にまた驚く。このパターンが繰り返された。そうした物珍しさでメディアに取り上げられている現状に甘えているようでは、すぐに飽きられてしまう。幸哉さんはブランディングの必要性を徐々に感じ始めた。

    「ボトリングティー業界最大手のロイヤルブルーティーさんは、20年ほど前からボトリングティーを独自で開発し、徹底した高級路線のブランディングを続けて、今ではダントツのシェアを誇るようになりました。自分たちもそれくらいのブランドにならなければダメだと思うようになったんです」

    そうして、[カネス製茶]のボトリングティー事業のブランド化を本格的に検討するようになった。しかし、ブランドなど自社で立ち上げた経験はない。中心となってその舵取りを取る人員が必要になる中で、東京で働いていた元気さんが家業へと戻ってきた。

    後編では、東京から家業を継ぐために戻ってきた息子・元気さんの話と、新たな挑戦となる「IBUKI bottled tea」について掘り下げていく。

    小松幸哉 |Yukiya Komatsu
    山梨県出身。カネス製茶代表取締役社長。日本茶鑑定士、手揉茶師、日本茶インストラクターの資格を持っている。カネス製茶のお茶は品評会で高い評価を得ており、農林水産大臣賞や世界緑茶コンテスト最高金賞など、これまでに受賞している。
    kanes.co.jp
    ibuki-tea.com(IBUKI bottled teaブランドサイト)
    instagram.com/ibuki_bottledtea

    Photo by Takuro Abe
    Text by Rihei Hiraki
    Edit by Yoshiki Tatezaki

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