• すべてはグッドタイミング。お茶の未来を前向きに見つめる
    静岡[GOOD TIMING TEA]和田健さん<後編>

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    敷居は低く、誇りは高く。温かな雰囲気を生む場づくり静岡[GOOD TIMING TEA]和田健さん<前編>

    静岡駅から歩いて10分ほど。静岡市街地の中心から少し外れた「鷹匠(たかじょう)」というエリアは、徳川家康が晩年を過ごした駿府城の東側に位置する。徳川家に仕えていた鷹匠(鷹狩り師)が住んでいたことにその名が由来するこのエリ…

    2024.06.28 INTERVIEW日本茶、再発見

    “本当にどうしようもなかった”20代前半

    [GOOD TIMING TEA]オーナーの和田健さんは、同店をオープンする前に静岡の人気コーヒーショップ[hugcoffee(ハグ コーヒー)]で働いていたということは前編で触れた。2016年に入社し2023年に独立するまで、人や文化が活発に行き交うコーヒーカルチャーからお茶に活かせることは何か、と学びながら働き続けた7年間だったという。

    しかし、[ハグ コーヒー]で働く以前のことを尋ねると、「本当にどうしようもなかった」と和田さんは当時の自分自身を振り返る。

    「実家が[だるまや和田清商店]という製茶問屋で子どもの頃からお茶が身近にあって、それに自分は長男だし、ゆくゆくは実家を継ぐつもりでいたんです。特に親から継げと言われたことはなかったのですが、実家を継いでお茶業界を盛り上げたいという思いは、いつの頃からか頭の中に自然とありました。大学で上京して経営学部に入ったんですけど、そこからが本当にダメで……。結局大学は卒業せずに静岡に戻ることになりました。実家に帰ってきても、しばらくは寝て起きてフラフラしてるだけみたいな時期がありました」

    見かねたご両親は、和田さんを家業で働かせることにする。配達作業などを担当していたが、それでも和田さんのだらしなさが目に余ったのか、ある日和田さんは実家からも追い出されることになってしまう。

    「こいつはダメだと思われたんでしょうね。父親から『出てけ』と。それで実家を出て、一般企業に就職したんですけど、そこでも全然ダメ。優しい会社だったんですけど、成果も上げられず勤務態度もだらしなかったです。ある日、朝礼中に立ちながら寝てしまっていて怒られたんですけど、その時にとうとう気づいて。言葉はあれですが、社会不適合というか合わせられないんだなと。それで会社を辞めようと決意しました」

    ここで人生を変えよう。

    実家を追い出され、就職した会社も辞めることになった和田さん。当時行きつけだった[ハグ コーヒー]を訪れ、かねてより親交のあった代表に事のあらましを伝えると、「じゃあうちで働きなよ」と言ってもらえた。それが人生の大きな転機となった。

    「その時には将来お茶の店を持ちたいと考えるようになっていたので、[ハグ コーヒー]に誘ってもらったというせっかくのチャンスを活かさなきゃダメだと思い、ここで人生を変えようと決意したんです。それからほぼ毎日、仕事に没頭しました。それまでは本当にだらしない生活だったんですが、急に頑張れたんです。もちろん毎日大変でしたけど、ドリンクをお客さんに提供して美味しいと言ってもらえることが本当に楽しかったですね。そうして働いていくなかで担当する仕事も増えました。新しい店舗を出したり、イベントを企画したり、行政との絡みだったり、自分の中にいろいろな経験値が溜まっていって、将来お店を持つという未来が徐々に見えてきました」

    「最近、昔の同級生から『究極の自己中だった』と言われて驚いたんです」という和田さん。卑下しているように聞こえるかもしれないが、裏を返せばマイペースで真っ直ぐな人柄で、それが人を惹きつける。持ち前のポジティブさは[GOOD TIMING TEA]の空気感にも漂っている
    [ハグ コーヒー]との繋がりが生まれた最初のきっかけは、実家の[だるまや和田清商店]だった。その名の通り元は曽祖父である和田清さんがだるま製作のために創業した会社で、祖父の代に当時需要が高かった製茶業を始めた。今は製茶卸がメインだが、だるま製作も請け負っている。絵付け前の真っ白なだるまを使ってさまざまなアーティストがデザインするという「デザインダルマ展」を構想していた[ハグ コーヒー]と和田さんが出会い、そこから足繁く通うようになっていった
    アーティストがデザインしただるまは[GOOD TIMING TEA]の店内に飾られている。左から2番目は先日CHAGOCOROで取材したお茶染め職人の鷲津恭一郎さんによるもの。「デザインダルマ展」は和田さんが引き継いで[GOOD TIMING TEA]を会場として年に一度行われている(次回は来年1月に開催予定)

    あなたの良きタイミングで、この店を訪れてほしい

    [ハグ コーヒー]では最終的にマネージャーのポジションまで務めるようになった和田さん。お茶の店を開きたいという目標はずっと持ち続けたまま、ある程度の経験も積んでいた2023年6月、現在の[GOOD TIMING TEA]の場所が空いたという知らせが入った。和田さんは知らせを受けた翌日に物件を見にいき、すぐにこの場所で店を開くことを決めた。

    そこからの展開は速かった。6月中に[ハグ コーヒー]を辞め、それから3か月間ほどかけて店名やメニュー、店舗の空間などを固めていった。メニューや空間のこだわりについては前編で触れたが、店名については、実家がだるまを扱うこともあり「ポジティブで縁起のいい感じ」にしたいと考えた。そこで和田さんが引用したのが、自身の好きなカルチャーのひとつでもある「落語」だった。

    「桂雀太さんという落語家の方が好きなんです。本題に入る前のまくらですごく好きな噺があって。『立ち飲み屋で隣にいたおっさんがこう言ってました。“人生は全てグッドタイミングで進んでいる。良いことも悪いことも、それぞれのグッドタイミングでやってくる。わしの頼んだ焼酎がまだ来てないことも”』というもので。僕はそのフレーズがすごく好きで、『グッドタイミング』と書かれた雀太さんのグッズTシャツを[ハ グコーヒー]で働いている時によく着ていました。胸元の『グッドタイミング』という文字をお客さんが見つけると、不思議とみんな笑顔になるんですよ。そのTシャツを着て街を歩いていても、通りすがりの人が笑ってるなって感じることもありました。みんなを笑顔にするワードっていいなと思いましたし、だるまと通じる縁起のよさもあると感じました。それぞれが良いタイミングにこの店を訪れてほしい。あなたがこの店に来たいと思った時がグッドタイミングなんだ、という意味を込めてこの名前にしたんです」

    いつでも来たい時に、という言葉に偽りはないようだ。[GOOD TIMING TEA]は、年中無休でアイドルタイムは無し、朝の9時から夜の9時まで営業している。その営業スタイルは大変に違いないが、和田さんの店に対する情熱とお客さんへの責任を果たすという意志を示すものでもある。

    店名や空間、コンセプトといった一度決めてしまえば“動かない”ものなら、いくらでも綺麗事を言えるし、お客さんをもてなす気持ちを表現できる。しかし結局は「この店を訪れる前にお客さんが期待していたことを、ちゃんと提供する」ということが、店と客の信頼関係を育んでいく。店に込めた思いをそのまま体現している[GOOD TIMING TEA]がこれだけ賑わっているのは納得だ。

    2023年11月のオープンから半年が経ったばかりだが、多くのお客さんで賑わう[GOOD TIMING TEA]。かつては和田さんを追い出さざるを得なかったお父さんもその盛況ぶりを嬉しそうに見守ってくれているという。

    「父親とは店を立ち上げる時に意見が合わなかったこともありました。僕は自分で銀行からお金を借りようとしていたんですけど、父親は銀行から借りるのはリスクがあるから、とりあえず家から金を出すと言ってくれたんです。今思うと親心だと思うんですけど、当時の自分はリスクをちゃんと自分で背負って店を始めたいと思っていました。本気で店をやっていくなら自分が身銭を切らないとおかしいと思ったんです。ちゃんと利益を上げて、お客さんにも喜んでもらう。それを親から借りたお金でやるのは違うなと。自分は根がだらしないとわかっていますので、何かに甘えられる環境じゃダメだと思っていましたし。結局父親とは大げんかしちゃったんですけど、店にお客さんがたくさん来てくださっている景色を見て、少しは納得してもらえたみたいです」

    自身のことを「本当にどうしようもない人間」と語り始めた和田さんだったが、[GOOD TIMING TEA]が始まるまでのストーリーを聞くと、お茶、そしてお客さんに対して本当に真剣で誠実な方ということがわかってきた。

    静岡のランドマークとなるような
    お茶の複合施設を作りたい

    順調なスタートを切ったように見える[GOOD TIMING TEA]だが、和田さんは「今は幸せだし楽しいんですけど、一つの店が立ち上がっただけという事実を客観視すると、お茶業界は大丈夫だろうかという漠然とした不安がより見えてきた感じがしています」と打ち明ける。

    「家でお茶を飲むという文化は、全然と言っていいくらい、もう日本には根付いていないと思っています。急須で淹れて家で飲む家庭はとても減ったと思うし、だからこそ[GOOD TIMING TEA]のような店に飲みにくる方がいる。結果的に文化として成立・発達していくものって、必要なものだったからこそだと思うんです。だから僕は、お茶は脇役でいいと思っています。堅苦しいスタンスはあまり好きではないし、お茶に対するハードルも上がってしまう。道具を使って淹れて飲むには、手間も時間もかかる。だからお茶はおしゃべりや仕事のお供でもいい。自分もそんな思いから[GOOD TIMING TEA]を始めました。伊藤園さんの『お〜いお茶』だって、最初は誰も成功すると思ってなかったと聞きます。それが、ペットボトルのお茶はひとつの文化になっていますよね。そんなふうに、この時代に対応するようなまた新たなお茶の文化がつくられていくと思っています」

    続けて、和田さんは夢を語ってくれた。それは日本茶カフェという現在地から地続きではあるが、はるかにスケールの大きいものだった。

    「いつかお茶をテーマにした大きな複合施設を作りたいと思っているんです。滋賀に和菓子舗[たねや]さんのフラグシップショップや本社、工場そして自社農園が一体となった[ラ コリーナ近江八幡]という施設があるのですが、ここがすごくいいんですよ。建築も面白いし、多くの人が来場して賑わっています。静岡といえばお茶、といわれるその割にはお茶を起点にして遊びに行きたくなるような場所が意外とない。[GOOD TIMING TEA]を作ったのも、ここをそういった場所にしたいという思いもありました。お店が観光資源になれば、地域のためにもなります。その最終目標が[ラ コリーナ近江八幡]のようなイメージ。お茶の遊園地のような、そんな場所をいつか作りたいです」

    お茶を淹れるときは「お客様に喜んでいただけるように、おいしくなぁれ、おいしくなぁれと思っています(笑)。少し車を走らせれば、山あいの茶畑が見える。この景色をいつまでも残したいと思っています」

    その夢を聞いて、改めてとても稀有な人だと思った。お茶のつくり手のこだわり、淹れ手のこだわり、お茶というカルチャーを取り巻くさまざまな人とこれまで会ってきたが、和田さんはまた異なる捉え方でお茶という文化の未来と可能性を見つめていると感じた。その独自の視点は、製茶問屋の息子として生まれ、コーヒーという近いけど異なる領域で働いてきたからこそのものかもしれない。

    「静岡茶は多くの茶業関係者のパッションの賜物。その情熱を伝えたいです。 まだ出合ったことのないお茶がたくさんある、ということは可能性でしかないと思っています。皆さまの良きタイミングでお茶を手に取ってみてください」

    [GOOD TIMING TEA]という場所を出発点に、和田さんが子供の頃から自然と抱いていたお茶業界を盛り上げたいという使命感は、今後ますます具体的なものになり、お茶業界にまた新たな流れを生み出していくことだろう。そんな期待を胸に[GOOD TIMING TEA]を後にした。

    和田健|Ken Wada
    1991年、静岡市の製茶問屋[だるまや和田清商店]の長男として生まれる。大学を中退後、実家で働いた後、静岡市のコーヒーチェーン[ハグコーヒー]にて7年ほど勤務。2023年11月、鷹匠エリアに[GOOD TIMING TEA]を開業。

    GOOD TIMING TEA
    静岡市葵区鷹匠2-17-3
    9:00〜21:00、年中無休
    @goodtimingtea_shizuoka

    Photo by Takuro Abe
    Text by Rihei Hiraki
    Edit by Yoshiki Tatezaki

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