• 創業165年、父から娘へと受け継がれた“うちの味”
    金沢[野田屋茶店]の加賀棒茶<後編>

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    創業165年、父から娘へと受け継がれた“うちの味” 金沢[野田屋茶店]の加賀棒茶<前編>

    今や全国的に知られている石川県発祥の「加賀棒茶」。焙煎由来の香ばしさと口いっぱいに広がる甘さが特徴の加賀棒茶は、最近ではカフェのドリンクやスイーツとしても人気だ。元々は石川地域特有の“いつものお茶”だったものが、全国で愛…

    2024.07.12 INTERVIEW茶のつくり手たち

    1世紀以上に渡って石川県で親しまれてきた「加賀棒茶」。今回訪れている金沢市の[野田屋茶店]は江戸時代末期から5代続く老舗で、直火と砂煎りの2種類の焙煎を合わせたこの店ならではの味をつくりつづけている。

    [野田屋茶店]の「加賀棒茶 極」

    [野田屋茶店]のカフェスペースでは、この日もさまざまな人たちがお茶をしていた。友人同士でゆっくり話をする3人組や、一人でクリームぜんざいを食べる男性、旅行客と思しきカップルなどなど。最近では、竪町通りのホテル「OMO5金沢片町」で、金沢のお茶文化を味わうアクティビティとして、毎日・無料で[野田屋茶店]の加賀棒茶などを飲み比べることができるそう。そこからのお客がお土産にとお店を訪れ、お茶を選ぶ姿もあった。

    [野田屋茶店]の加賀棒茶には焙煎度合いの違う3種類がある。焙煎が浅い順に「極」「薫」「並」だ。どれが好きかは好みが分かれるところだそうで、4代目の野田正輝さんは「並」をいつも飲んでいると話し、その娘の和美さんと夫の清市さんは「薫」のバランスの良さが好きだと話す。「最近は『極』が好きっていうお客さんが多いね」と清市さんが言えば、「お客さんはけっこう色々好みがあるもんや」と正輝さんも頷く。甘やかな香りとすっきりした口当たりが一番特徴的な「極」はたしかに若い人におすすめできそうと感じるし、ほうじ茶らしい香ばしさのある「薫」「並」は通好みといえるかもしれない。

    左から、「極」は浅煎りのタイプ。浅く焙煎するのが一番難しいそうで、焼き色をつけながらも香りを残すというのは「至難の業」だそう。茎茶のもつやさしい甘さが口に広がる上品な一杯。

    「薫」は中深煎りのタイプ。甘さと香ばしさが重なりあった香りで、後からは少しチョコレートのようなニュアンスも感じる。

    一番右、加賀棒茶の文字の上に印がないものを「並」と呼んでいる。深煎りのタイプで、落ち着く香ばしさの後にややスモーキーさを感じる。たしかに玄人好きする味かもしれない。

    “これじゃないとだめ”
    いつも飲む「番茶の文化」

    「加賀棒茶」という名前は今では全国的に認知されているが、石川では元来「棒茶」や「番茶」と言い習わされていた“いつものお茶”だった。ひとくちに「番茶」といっても、出てくるお茶は地域ごとに異なる。各地域の生活の中で“いつものお茶”を意味する言葉として使われてきたため、各地の番茶を比べてみるとつくり方も味わいも見た目も違っていて、一つの決まったお茶はない。例えば「京番茶」は大ぶりの葉をスモーキーな香りになるまで炒ったお茶だが、加賀棒茶は茎(棒とも呼ばれる)だけを使う点でやはり違いがある。ほかにも阿波番茶や美作番茶などもあり、それぞれが特徴をもって今に残っている。

    そうした地域固有のお茶づくりを守るために、石川県茶商工業組合が主体となり「加賀棒茶」は2020年1月に地域団体商標に登録されている。加賀地域に由来する製法によって、石川県内で茎茶を使用し仕上げ加工されたほうじ茶のみを、現在「加賀棒茶」と銘打つことができる。甘く香ばしい香りと味は、世界の人々の味覚を虜にする魅力があるが、それだけに石川の茶文化として守り認知を広める必要があるのは当然といえる。

    真ん中に4代目の野田正輝さん、左に娘の泉和美さん、右に夫で社長を務める清市さん

    老舗の[野田屋茶店]には当然、昔からのお客が多い。

    「80代、90代の方もいますね。そういうお客さまは10本単位で買ってくださいます。電話もらって配達するんです。お子さんたちからも『送ってほしい』と言われるそうです。『やっぱりこれじゃないとだめ』だって。元々は番茶とか棒茶って呼ばれてたものなので、家でふつうに飲んでいたそのお茶が加賀棒茶だったと知らない人も多いんですよね」と清市さんは話す。

    カフェやスイーツにイメージが引っ張られがちな近頃の加賀棒茶だが、石川の人たちにとっては素朴な普段使いのお茶。熱湯でさっと淹れて立ち上る香りから、すっきりとした甘さと余韻まで、まさに日常でほっとするのにぴったりなお茶だ。

    夏には冷やして飲むのもよい

    やらなしゃあない!
    でも好きでやってきた商い

    そんな人気の加賀棒茶だが、つくる現場は中々過酷。前編でご覧いただいたように、焙煎機がフル稼働すればサウナのように暑くなる。正輝さんは、ちょうど60年前の23歳のときに[野田屋茶店]に養子として入り、それ以来そんな大変な加賀棒茶づくりを一手に担ってきた。

    「私は焙煎より、商売しにきたんや。商売大好きやから。焙煎を習ったのは最初3ヶ月くらい。砂煎りの機械も私の代で大きいものに変えて。市ガスでやってたのもお昼になると火が弱なるから、そんなじゃあきれいに上がるわけないってプロパンに変えた。まぁまぁ他に誰もせんけん、しゃあない」

    そんな風に当時を振り返る正輝さんだが、当時はお茶がよく売れたこともあって、お茶で商売することができてよかったと言う。

    「やり甲斐て、お客さんに喜ばれることくらいのもんや。昔はね、電話もらったらそれ(注文品)だけ持っていくんやなくて、「お茶いりません?」って一軒一軒回ったんや。それが昔のお茶屋さん。おかげでうちは金沢市内では一番古い。江戸時代からだから。私が4代目、ちょうど60年になるんかな。おかげでね、私は好きでやってきたから、飽きはせんだよ」

    2000年以降は全国各地の百貨店などで行われる物産展にも積極的に参加するようになり、正輝さんは焙煎に販売にと大忙しだったのだそう。

    「年に18回は行ってたよね」(正輝さん)
    「催事に行くためにすごい量を焙煎して、全部持って行って、帰ってきてまた焙煎して」(和美さん)
    「他にする人おらん。しゃあない!」(正輝さん)

    全国の人々に売るという視野の広がりによって、焙煎度合いの違いということを実践するようになり、現在の3種類の展開にもつながってきたのだそう。そうして、お茶の商いをバリバリとこなしていた正輝さんだったが、ここ10年ほどは病気もあり娘の和美さんが焙煎を引き継ぎ、それまでは医療関係の会社員をしていた清市さんが経営を担うことになった。

    「店をやめるっていうことは全く考えんかったね。それまでもうちで働いていたし、焙煎も少しはかじっとったからできるかもって思ったけど、やるしかないよね。他にやる人もいないしね」(和美さん)
    「そうやわい。しゃあない!」(正輝さん)
    「はははは。うちは『しゃあない』でつづいてきたんです(笑)」(和美さん)
    「けれどもね、うち助かってんわ。手抜いたわけではないんだけどね、50代むこうくらいに店の焙じを(一部和美さんに)任せた。それがね、うまく後継いだような形になった」(正輝さん)
    「その後父はどんどん体も悪くなったので、やるしかないよねって。それで焙じはじめて、『味が違う』と言われたこともありましたが、今もお父さんが焙じとると思っているお客さんもいると思うわ。良いか悪いかあれやけど」(和美さん)
    「そらいいことや。まぁ色々あったけど、うまいこと継げたわ」(正輝さん)

    家族の絆によって今も飲みつづけることができるお茶なのだと実感する。昔からいつもいつも飲んでいた味と香りの記憶と、そばで見つめてきた父の仕事姿を頼りに、変わらない味を守っている和美さん。改めて、正輝さんが築いてきた味づくりについて尋ねてみた。追い求めた味があったのだろうか?

    すると正輝さんからは「そんな……考えたことないわ」と、意外な答え。しかし、「加賀棒茶っていうのは石川県だけの、昔から独特なものなんよ。やっぱり私自身も飲んでおいしいと思う。直煎り(直火)いうんは旨味というか甘味というか『味』が残るんやね。砂煎りいうんは『香り』が出るのと、よく膨れる。その二つを合組してだすのは他にあまりないね。一回一回できあがりは、確実にどこかが違うよ。けども、どれがベターかっていうのはいつも見ながらやってるから」と、こだわりはもう染み付いて当たり前のものになっているということのようだ。

    それを引き継いだ和美さん。165年の歴史はかなり重いものかもしれないが、今どんなことを意識してこの仕事に向き合っているのだろう。

    「今を一生懸命やることやね。つづけようって考えるより、今を一生懸命やる」(和美さん)
    「そうそうそう。つづけるってことばっかり考えてたら何もできんので。今あることをやって、ちょっとずつでも変えていけることがあれば変えていくってことかなって」(清市さん)

    写真左、和美さんの妹の雅美さんはカフェを仕切っている。お茶を囲んで集まればいつも仲の良い家族で守ってきたお茶屋だ

    「焙煎も誰でもできることじゃないのでね。頑張れる限り頑張ります!」と和美さんが力強く言うと、「お客さんが求めてくれる限り。それが一番大事」と正輝さん。

    家族で支え合いながらつくってきた[野田屋茶店]のお茶。この味に出会えた一人として、「うちの味」と呼びたくなる気持ちになった。

    野田屋茶店|Nodaya Chaten
    1859年(安政6年)創業、石川県金沢市竪町の茶屋。一番茶の茎を焙じた加賀棒茶は地域の人々に長きに渡って親しまれているだけでなく、全国各地に根強いファンを持つ。約60年もの間暖簾を守ってきた4代目の野田正輝さんを継いで、娘の泉和美さんが加賀棒茶を焙煎をつづけている。カフェでは、加賀棒茶を始めとしたお茶の他にパフェやクリームぜんざいも楽しめ、地元客だけではなく多く観光客も訪れる。
    石川県金沢市竪町3
    www.nodayatea.jp

    Photo by Kumi Nishitani
    Text by Yoshiki Tatezaki

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