• 日常で見つけた情景を、香りに
    板橋[夕顔]藤間夕香さん<前編>

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    料理家の藤間夕香さんが、季節の野菜とお茶を楽しむ「食事会」を開いているアトリエ[夕顔]。東武東上線の中板橋という駅から歩いて10分足らず、閑静な住宅地の路地裏に入ったところにひっそりと佇む一軒家で営まれている。季節の移ろいを感じ、ゆっくりと心静かに料理、甘味、そしてお茶をいただける空間を訪ねた。

    路地裏にさりげなく「夕顔」の看板が、その入り口を示していた

    予約制で催される食事会では「春」「初夏」「夏」「秋」「冬」という季節ごとに変わるテーマに沿って、料理4品と甘味1品、茶2種が提供される。お客さんは2時間半程度をかけてゆっくりと料理とお茶を味わう。藤間さんが大切にする「香り」を通じて、今この瞬間を感じ、じっくりと自分自身を整える時間を過ごす。今回はその一部を体験しながら、藤間さんご本人にお話を伺った。

    ドアに掲げられた「rojicafe」は、前身のギャラリーカフェの名前。この扉を開けて中に入る

    扉を開けると玄関があり、そこはお店というよりも人のお宅。自然と「お邪魔します」と言いながら、一階にある板張りの居間へと入る。外観を覆う蔦とカーテンで遮光された室内を照らすのは蝋燭とランプの灯りのみ。かすかにピアノ音楽のBGMが耳に届き、次第に呼吸がゆっくりになるような空間だった。

    築およそ80年の民家。天井がやや低いのもほっとして落ち着く。蔦が自然のカーテンになって、柔らかい光が通ってくる
    骨董品が好きな藤間さんが集めた大小さまざまの茶器、茶碗、皿がそこかしこに並んでいる

    4人座ればちょうどというテーブルが居間の真ん中にある。席に着くと、藤間さんはまずお水を注いでくれた。外は暑かったのでありがたい。

    藤間夕香さん

    ビンテージものと思しきボトルから注がれた“お水”を受け取ると、ふっと爽やかな香りが飛び込んできた。ただのお水ではない。

    「何かわかりますか?」と藤間さんが笑顔で尋ねる。

    絶対知っている香り……和というより洋……ピザが食べたくなるような……。

    答えがみんなの頭の中に浮かんだことを察知すると、「そう、バジルです」と藤間さんが答え合わせ。ここまでの暑い道のりがリセットされるような、フレッシュな香り。それが何かと集中したことで、頭まですっきりした気分になった。藤間さんはこんなふうにして、香りをきっかけに身と心がリフレッシュする時間をつくっているようだ。

    バジルウォーターの爽快感に癒された頃、藤間さんはコースの初めに提供するという茶外茶――チャノキ以外の植物などを煎じてつくる飲み物――の準備にとりかかった。奥の台所からお湯を沸かす音などが漏れ聞こえてくる。数分ほど静かに待つと、藤間さんが盆に乗せて茶外茶を運んできた。

    「熱すぎると味わいが分かりにくくなるので、少し冷まして淹れています。夏の勢いが増してくる7月なので、そんな夏らしい、鮮やかさと強さと、甘やかさを思いながらつくってみました。何を使っているかあててみてください」

    藤間さんはこうした茶外茶のことを「香湯こうゆ」と呼ぶ。ほぼ無色透明なのに、口に含むと鮮やかに香り、一気に研ぎ澄まされる。たしかに“香るお湯”だ。

    どこかでかいだことのある気がする香りではあるのだけれど、なんだろうか……。3つの素材が使われているというヒントをもらうものの、なかなか全ては言い当てられない。でも美味しいのでほぼ飲み干してしまう。答えを教えてもらうと、一つは乾燥させた島月桃の葉、もう一つは生の青唐辛子のかけら、そしてキャラウェイというスパイスだった。それに少しだけ、甘みを引き立たせる目的できび糖を使っているのだという。

    「夏の暑い夕方に雨が降ってぱっとあがって、土の香りがふわっと感じられる情景を表現してみました。ちょうど今いきいきと茂っている島月桃の野性味。青唐辛子は青く茂った草の香り、夏のスパイシーさ、そして辛みを。鮮烈な辛みが夏の風情に合うなと。そして、キャラウェイがバニラのような常夏の印象と清涼感を出してくれています」

    藤間さんが風景を映像で切り取るように頭に描きながら香りでその一瞬の空気感を表現していることに驚いた。

    時折花が咲いたように明るい表情を見せながら、落ち着いたトーンで語る藤間さん

    「自分の好きな景色が季節ごとにあるんです。心の中に残る記憶もそうですし、普段歩いていて風のにおいや日の光の変化を感じたり、その時々で目にする植物が変わったり。この景色を映像のように表してみたいなと思いながら過ごしていて、『今だな』という時に画と香りが一緒に頭の中で流れるんです。みなさん『夏らしい景色』って共通認識としてあるはず。香りを入り口にして話すと、すごく伝わりやすいんですよね」

    確かに、香りはより本能に訴えかけるものなのかもしれない。香りひとつで懐かしい気持ちが瞬時にかつ鮮明に想起された経験はみなさんもあるのではないだろうか。

    藤間さんにとって香りは、料理を作るときのヒントにもなるのだそう。それを象徴する一品が「淡雪あわゆき」だ。

    淡雪とは羊羹の一種で、寒天と砂糖に卵白を泡立てたメレンゲを合わせた和菓子。藤間さんはこれをベースにして、「料理と甘味の間の品」として作っている。「時に料理になり、時に甘味になる」という藤間さんの淡雪は、香りや味わいを自由に表現できる一皿。季節ごとに異なる淡雪を作るのだという。

    「通常メレンゲと寒天はしっかりまぜこんで作るので普通の淡雪は白いメレンゲのような見た目なのですが、私は寒天とメレンゲを分けて2層にして作っています。7月の『季節の淡雪』は夏らしく、鹿児島・枕崎のカツオを濃厚に抽出した出汁の寒天です。仕上げにはコクをだすために木の実を散らしました」

    「お出汁の寒天の色合いが、夏の夕方に西日が差しているような風情を感じさせるかなと。器の反射も相まってきれいですよね。夏の夕暮れに、台所からお出汁の香りがふわっと香ってくるというのがすごくきれいな景色だと思います」

    なるほどなるほど、と情景に想いを馳せながらお箸を入れて食べる。上はつるんとして、下は柔らかい泡でメリメリ。舌触りが心地よく、どんどん箸が進んだ。出汁の旨味は舌に染みる味よりも、噛むのと同時に広がる香りとその余韻が心象的だった。木の実の食感と香ばしさもいいアクセント。

    「お茶菓子にもなるし、おつまみにもなるし、青菜のお浸しと一緒に食べてもきっとおいしいですよね」と藤間さん。鰹出汁の淡雪なんて初めて口にするものなのに、すべてが穏やかで、懐かしさを感じずにはいられなかった。

    季節ごとに変化する淡雪。例えば秋には、柿と桂花茶を使いキンモクセイの甘い香り。冬はゆり根をレモン煮にしたものを合わせたり。夏は月桃の葉の野性味あるスパイシーな香りに、みずみずしい夏果の無花果を。果物の実も、葉も、花も、藤間さんはその香りを自在に料理に取り込んでいるのだ。

    「食材は自分の目で見て、自分の手で触れて選びたいと思っています。なので、農家さんから直接送っていただくより、八百屋さんで並んでいるものを選ぶのが好きなんです。旬の野菜の手に持った時に吸い付く感じを確かめたり、香りをかいだりしています。並ぶ野菜ががらっと変わる時があって、そのときに季節が変わったなと思うんです」

    東京でだって、季節の移ろいをこんなに鮮やかに感じることができる。[夕顔]の料理や飲み物からは、そんな感覚が言葉じゃなく直感的に得られる。些細なことかもしれないけれど、何気ない日々をぐっと彩り豊かに感じる大切なきっかけだ。

    後編では、締めのお茶をいただく。藤間さんが[茶屋すずわ]とともに、ある夜の情景をイメージしてつくったお茶「月花蜜」をいただきながら、藤間さんのルーツについても伺っていこう。

    藤間夕香|Yuka Fujima
    神奈川生まれ。2004年より東京板橋で和食コースを提供するギャラリーカフェ[roji]をオープン。2009年からは場所は同じまま、アトリエ[夕顔]として食事会・茶会を主催。2023年からは静岡・用宗にギャラリー[夕凪]を共同運営。
    instagram.com/fujimayuka/

    夕顔|Yuugao
    東京都板橋区弥生町68−1
    旬の素材をつかい、季節の情景を表現する「食事会(夕食のコース)」や、食事会と茶会を融合させた「料理茶会」を予約制で不定期開催。
    yuugao.jugem.jp/?eid=511

    Photo by Mishio Wada
    Text by Hinano Ashitani
    Edit by Yoshiki Tatezaki

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