• 日常で見つけた情景を、香りに
    板橋[夕顔]藤間夕香さん<後編>

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    日常で見つけた情景を、香りに 板橋[夕顔]藤間夕香さん<前編>

    料理家の藤間夕香さんが、季節の野菜とお茶を楽しむ「食事会」を開いているアトリエ[夕顔]。東武東上線の中板橋という駅から歩いて10分足らず、閑静な住宅地の路地裏に入ったところにひっそりと佇む一軒家で営まれている。季節の移ろ…

    2024.07.26 INTERVIEW茶と食

    板橋区の閑静な住宅街で料理家の藤間夕香さんが営む[夕顔]。築80年を越す民家で料理、甘味、そしてお茶をいただける予約制の食事会を開催している。

    季節ごとの情景を“香り”で表現している藤間さんが、「イメージした情景をお茶にも落とし込んで表現したい」とつくったお茶がある。「月花蜜」と名付けられたそのお茶は、どんな香りがするのか。後編では「月花蜜」をいただきながら、藤間さんが香りに目覚めたルーツや空間づくりについても伺った。

    「月夜に、香る花。花からは清く甘い蜜がしたたる。静けさに耳を傾けるように、立つ香りを味わう」

    藤間さんは「月花蜜」のイメージをゆっくりと言葉にした。

    「月夜の晩に花がふわっと咲いて、そこから甘やかで清らかな花の香りが静けさの中に漂う。静けさの中の花を楽しむような情景です。お茶って、自分の中では香りを『聞く』ものと捉えています。(中国雲南省でつくられる)『月光白』という白茶が好きだったので、そのお茶のように花の香りがするお茶を日本の茶葉でつくれたらと思っていました。『月』という言葉から『夜』のイメージを広げていきました。香りを聞いて、水色を見て、召しあがってください」

    「月花蜜」を淹れる藤間さん。蝋燭の灯りに白い茶器たちが映える。後手急須は河合竜彦さん作、茶海は安藤雅信さん作、茶杯は石川隆児さん作

    一煎目は約80度と少し冷ましたお湯で淹れ、その香りと味わいを引き立たせたという。マスカットのような優しい香りは、口に含むと一層はっきりと広がった。甘やかな香りだけではなく、さりげない旨味に気持ちが安らぐ。

    「湯気の出方も楽しんで」と、二煎目はより温度の高いお湯で。香りが華やかに立ちのぼり、艶やかな花が思い浮かんだ。一煎目と二煎目で感じた異なる印象を心の中で重ね合わせると、「月夜に香る花」という藤間さんが最初に語った言葉が蘇ってきた。

    なんてロマンティックなお茶なんだろう。

    静岡[茶屋すずわ]が藤間さんのイメージを汲み取りお茶を仕上げた。パッケージのイラストを描いたのは山口洋佑さん。[夕顔]のオープン以前から交流があり、山口さんの作品は部屋の中にもいくつか飾られていた

    このロマンティックなお茶は、静岡県産の茶葉2種類をブレンドしたものだという。

    ひとつは、もともと花の蜜のような香りを持っている茶葉を釜炒りし、後発酵させたもの。もうひとつは「白葉茶」。摘み取り前に99.99%日光を遮断して育てることで、葉は白に近い黄緑色になり、旨味成分が多く含まれるお茶になる。この特徴的な2種類をブレンドしたことで、日本茶らしい風味や旨味がありながらも香り高いという、絶妙なバランスのお茶に仕上がった。

    長く中国茶を習っているという藤間さんは、中国茶のスタイルをベースに自分なりの淹れ方でお茶を愉しんでいる。お茶を淹れるということについて、次のように語ってくれた。

    「待っている時間っていいですよね。お茶を淹れる時間もそうですが、単純に“待つ時間”というものが今少なくなってきていますよね。でも、待つ時間が全体の時間をより魅力的にしてくれたり、お茶をおいしくしてくれたりする。だから、急須でお茶を淹れる行為には、自分に還ってくるものがすごくたくさんあると思います。香りも、味も、水の音も、それから手で触れる温度、湯気を見る、一つひとつのことを意識してお茶を淹れると集中できて、一つの空間が生まれますよね。お茶には時空や気持ち、場の空気を変える力があると思うんです。私は食事会が始まったら『すべてが時間をつくっている』という意識で、台所でたてる水の音も、こちらの空間と調和するように意識しています」

    「茶杯に残る香りも感じてみてください」

    飲み終わって茶杯が空になるとそう促された。香ってみると、蜜のような甘い香りが茶杯の中に満ち満ちていた。お茶ってこんなに香るのか、と目を見張るほどだった。

    「月花蜜」の香りを持ち歩きたい、という藤間さんの願いから、月花蜜の茶葉を用いた香水とフレグランスミストまで生まれた。お茶からこんなに華やかなフレグランスが生まれることに驚く

    「月花蜜」にうっとりとさせられながら、どうして藤間さんがこれほど香りを意識し表現するようになったのかが気になった。

    生い立ちを聞くと、神奈川で花屋を営んでいた両親のもと、家にはいつも花が飾られている家庭に育ったのだという。「その影響もあったと思いますが」と言いつつ、香りに関する印象的な体験は料理にあるのだそう。

    「両親の帰りが遅くなるので、小学校高学年の頃から家の食事当番をしていました。学校帰りに買い物をしてごはんを作ると両親が喜んでくれて、自分もそれが嬉しくて色々と工夫をするようになっていきました。ある時、胡椒を実のまま食べてみたんです。その香りがすごくて驚いたことを覚えています。“味”というより“香り”なんだって。それが香りについての最初の鮮烈な体験でした。それからは、野菜はもちろん、スパイスやハーブもまずそのまま食べて香りを覚えるということをずっとやっていました。そのおかげで、頭の中にいろんな香りと味わいがストックとしてあるんです」

    料理を生業にすることは自然な流れと言えた。ただ、藤間さんが目指したのはレストランの料理人ではなく、「料理を通して空間をつくる」こと。独学で料理の腕を磨き感覚を養いながら、2004年に現在と同じ場所にギャラリーカフェ[roji]をオープンした。それから20年、この中板橋に暮らしながら、町の営みに溶け込むような空間をつくってきた。

    「東京でありながら、『通う町』というより『帰ってくる町』という感じがして気に入ったんです。特にここは駅前ではなく、路地を通って来てたどり着く。自分がお店をやるならそういう場所で、靴を脱いで上がっていただける空間でやりたいなと思っていました」

    2009年からは[夕顔]として季節の料理を提供している。屋号は藤間さんのお名前にちなんでいる。

    「私は七夕生まれなので夕香と両親が名付けてくれたのですが、自分が屋号を持とう考えたときに自然と『夕顔』が浮かんだんです。朝顔・昼顔・夕顔とありますが、実は夕顔だけがウリ科の植物、つまり野菜なんです。夏の夜に咲く花、野菜も実る、そうした自分にとっての原点が一つの蔓でつながっている感覚が腑に落ちたんです」

    藤間さんが語ってくれる情景は、聞いている側の心にもきれいな景色を浮かび上がらせてくれる。お茶もすっかり飲み終えてしまったけれど、もっとゆっくりしたい気持ちになってしまう。

    「食事会の後に『ここから帰りたくない』とおっしゃってくれる方もいますよ。食事中も一人ひとりが自分のお皿に集中して、自分のために時間を使っているということをひしひしと感じることがあります。そうやって召し上がってくださると嬉しいです。心が動いた瞬間というのは、何にも自分の感情が邪魔されない瞬間。それが私にとっての“帰る場所”と呼べるものだと思います。普段忙しい中でそういう時間をつくるのは簡単ではないですが、神社で一息つくように、ここに来た方がそういった感覚を味わってもらえたらいいなと思っています」

    さまざまな場所から人々が集まって、思い思いに食事やお茶を噛みしめて、自分に返っていく。そんな時間が20年間、積み重なってきた空間。靴を脱いで上がった時から特別な場所に感じたのは、気のせいではなかったようだ。夕暮れに向かう町を歩きながら、また帰ってきたいと思った。

    藤間夕香|Yuka Fujima
    神奈川生まれ。2004年より東京板橋で和食コースを提供するギャラリーカフェ[roji]をオープン。2009年からは場所は同じまま、アトリエ[夕顔]として食事会・茶会を主催。2023年からは静岡・用宗にギャラリー[夕凪]を共同運営。
    instagram.com/fujimayuka/

    夕顔|Yuugao
    東京都板橋区弥生町68−1
    旬の素材をつかい、季節の情景を表現する「食事会(夕食のコース)」や、食事会と茶会を融合させた「料理茶会」を予約制で不定期開催。
    yuugao.jugem.jp/?eid=511

    Photo by Mishio Wada
    Text by Hinano Ashitani
    Edit by Yoshiki Tatezaki

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