• 真夏の一番茶。美作番茶の製造現場を訪ねる
    岡山・美作[小林芳香園]小林将則さん<前編>

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    日本茶栽培の歴史は、今から800年以上前の鎌倉時代、臨済宗の開祖・栄西が修行で赴いた宋から、茶の木の種を持ち帰ったことから始まったとされている。栄西は日本最古の茶書『喫茶養生記』も著しており、日本のお茶の歴史を語る上で欠かせない重要人物なのだが、実はその栄西は岡山の出身である。

    岡山県は歴史的にも茶との繋がりが深く、市内にある日本三名園のひとつ岡山後楽園には江戸時代の築庭当初から設けられていたという茶畑が今もある。当時は藩主が茶畑のお茶を飲んでいたそうだ。

    岡山後楽園内を回遊するとその茶畑をそばで見ることができる。現在では5月の新茶の時期に「茶つみ祭」が開かれ、収穫した茶葉でつくられた新茶が園内の茶店などで販売されている

    お茶と縁深い場所である岡山県で一番のお茶どころといえば、県北東部にある美作みまさか市の海田(かいた)という地区だ。山深く緑豊かな場所であるこの地区は、昼と夜の寒暖差が大きくお茶の栽培に適した環境を備えている。

    海田では江戸時代の享保年間(18世紀前半)に、地域の産業振興に茶の栽培が奨励されたといわれているが、この地の茶栽培の振興に大いに貢献したのが小林源三郎という人物だ。彼が登場するまで、この地域で作られていたお茶はいわゆる「番茶」だった。しかしそれでは農家の収入が上がらないことを憂いた源三郎氏は、京都の宇治や長崎で茶の栽培や、当時江戸などで人気となっていった煎茶の製造方法を学び、1862年(文久2年)に海田地区で煎茶製造に着手し始めた。

    これが岡山県の煎茶の歴史の始まりとされている。以降、お茶は海田地区の主産業となり、今も地域を代表する特産品であり続けている。そして、源三郎氏が製茶製造に着手したのをきっかけに創業したのが[小林芳香園]である。創業160年を超える、海田地区、ひいては岡山県のお茶の歴史を背負う老舗のお茶屋だ。

    [小林芳香園]の販売所や加工場が入る建物

    真夏の“一番茶”づくりの現場へ

    この日我々は、美作地域の伝統茶「美作番茶」の製造現場を見学させてもらおうと、[小林芳香園]の茶畑を訪ねていた。美作番茶とは、煎茶の製造を始める前からこの地域でつくられていたという、地元の人々が古くから愛飲している番茶。お茶の葉を鉄鍋で煮出し、真夏の炎天下で天日乾燥させた後、お茶の煮汁を打ち再乾燥させてつくるという、この地域独特のつくり方のお茶だ。日本各地で様々なお茶がつくられており、その多様さが日本茶の大きな特徴でもあるが、中でも美作番茶の製造方法はユニークだと言える。その味がどんなものなのか、そしてどのように作られているのか、実際に体感したかった。

    訪れたのは8月上旬だったが、山間の場所と薄曇りの天気だったこともあり、暑さは厳しいがそれでもまだ過ごしやすい気候に感じた。午前6時半、[小林芳香園]に到着。初代の源三郎氏から数えて6代目にあたる小林将則さんが出迎えてくれた。

    小林将則さん。我々が到着したときにはすでに茶畑で雑草を取り除く作業が始まっていた

    「毎年梅雨明けからお盆過ぎくらいの間の、気候が一番安定するタイミングで美作番茶をつくっています。お盆を過ぎると、風が強くなってしまったりして屋外で茶葉を乾燥させづらくなってしまうんです」

    通常、一番茶(新茶)は4月下旬から5月にかけて収穫されるお茶のことを指すが、現在は煎茶をつくっていない[小林芳香園]では、これがその年最初に摘む“一番茶”。おそらく日本で最も遅い一番茶の現場に1日密着させてもらった。

    [小林芳香園]の茶畑。この他にも茶畑が地域にいくつか点在している。かつてお茶づくりをしていた農家から譲り受けることもあるそう

    まずは茶畑に生えた雑草から抜いていく。[小林芳香園]では無施肥無農薬で茶葉を育てているため、そこかしこに雑草が生えている。

    「このあたりのお茶は在来種なので元々強い木なんです。下手に肥料を入れたり耕したりすると虫が発生して、逆に手入れが必要になってくるので人手が足りなくなってしまうんですよね。だったら自然栽培に近い形で育てる方が僕たちにとっては利があるんです」

    1時間ほど草取りをし、あらかた雑草を取り除くと、早速茶葉を刈り取っていく。小林さんが持ち出してきたのは可搬式の茶葉摘採機。手伝いで来ていた近所の方と二人がかりで機械を持ち上げ、畝を挟んで対面に立ち、端から一気に茶葉を刈り取っていく。

    新芽だけではなくその下20センチほどの枝ごと刈るため、機械の刃が毎年悲鳴をあげるほどだという。中でも太い枝ばかりを集めて加工した「三年番茶」というお茶も販売されている

    刈り取った茶葉は機械にセッティングされた袋にそのまま吸い込まれていく。ひとつの畝で大きな袋が茶葉でパンパンになるが、それを見た小林さんはどこか納得のいかない様子だ。

    「より収量がとれるように、枝ごと刈っていくのですが、今年は雨が少なかったせいもあるのか葉っぱが大きくならずに小さいままです。例年と比べて2/3ぐらいの収穫量ですかね」

    1時間ほどかけて、本日の茶葉の収穫は完了。茶葉が詰まった袋がいくつも出来上がる。これを作業場内に運んだ後、少し休憩することに。キンキンに冷えた美作番茶が用意されていた。

    早速いただくと、渋みはほとんどなくまろやかでスッキリとした味わい。喉が渇いていたことも相まってゴクゴク飲んでしまう。

    海田地区では、煎茶づくりが始まる前から各家庭で美作番茶がつくられ、水代わりに飲まれていたという。小林さんが推測するところでは、元々農家が農作業の片手間でつくれるように、繊細さが要求される「蒸す」工程を飛ばし、茶葉を煮ることから始めたのではないか、ということだった。

    この地域では長い間、各農家が自らが所有する小さな茶畑で、自分たちが飲むために美作番茶をつくっていたという。最近では高齢化もあり、茶畑を手放す人が増えたそうだが、それだけこの地域で美作番茶は日常に根付いたものだった。

    収穫した茶葉は二つの工程に分けられる。ひとつは「煮る」。もうひとつは「蒸す」だ。

    「煮る茶葉」は、雑草などを仕分けした後、濃い茶色の汁が入った鉄釜に山盛りに入れられる。この茶色の汁が、美作番茶の製造に欠かせない「煮汁」だ。最終的にこの煮汁を、乾かした茶葉にタレのようにかけることで、美作番茶独特の風味がつくられる。

    煮汁の中にはお茶の葉などから出るサポニンが含まれており、水を注ぐと泡立つ。煮汁の匂いは独特で、少し烏龍茶に近い感じがした

    「これくらいコクのある茶色の煮汁が出来上がるまでには、大量の茶葉を6回ほど煮出さなければなりません。毎年美作番茶のシーズンごとにこの汁は作り直していて、毎日水を継ぎ足して収穫した茶葉を煮ています」

    1時間半ほどかけ手作業で茶葉の仕分けを完了させ、11時ごろから茶葉を鉄釜にどんどん投入していく。山盛りになった茶葉の上から、熱が全体に通るように麻布をかぶせ、ここから40分〜1時間ほど煮ていく。

    太く大きい薪を燃料にし、勢いよく火が燃え上がる。次第に鉄釜周辺の温度が上がり、煙も立ち昇ってきた。たまらず外に出てみると、山からの風がとても涼しく感じた。あんなに暑い夏が、どこかに行ってしまったようだった。

    茶葉の仕分けは手作業で雑草など余計なものを取り除く。大量の茶葉があるため地道で時間がかかる。取材チームで手伝わせてもらったが、いつもは小林さん一人でやっているとのことで驚嘆してしまった
    勢いよく薪が燃え、煙が立ち込める。この作業場は昔、観光農園として忙しく営業していた頃に、ジンギスカンを提供する食堂として使っていた場所のため換気扇が多くついている。とはいえ、室内はほぼサウナ状態!
    茶葉を鉄鍋に投入する
    作業場を外から。この中で茶葉を鉄釜で煮たり、茶葉の仕分けを行う。この裏手に茶畑がある

    一方の「蒸す茶葉」は、ボイラーとコンテナを繋いだ特注の“蒸し機”の中に入れられる。1時間半〜2時間ほどかけて茶葉を蒸し、「ほうじ番茶」をつくる。こちらは小林さんのお父さんが火の面倒を見るようだ。蒸した後は美作番茶と同様に、天日干しによる乾燥を行い、最後に先ほどの煮汁をかける。[小林芳香園]ではこれを「美作ほうじ番茶」として販売している。

    「美作ほうじ番茶」をつくるための特注の蒸し機。火を起こし、発生した蒸気が管を通ってコンテナの中に送られる

    美作番茶とはどんなお茶か

    煮るにしても蒸すにしても、どちらも通常のお茶の工程では欠かせない「揉む」作業を行わないため、葉がほとんど開いた状態で仕上がる。この状態の茶葉でお茶を飲むことはこの地域や中国・山陰地方に住む人にとっては一般的なことらしいが、例えば関東圏に住む人にとっては見慣れないものだろう。

    そう考えると、そもそも「番茶」とは何?という疑問が頭に浮かぶ。番茶は一番茶や二番茶から外れたものというイメージから、煎茶には劣るものという意味でいわゆる「番外のお茶」、あるいは「晩茶」がその語源にあると思っていた。しかし、小林さんはまた異なる視点から番茶を説明してくれた。

    「イベントなどに出展するとお客さんから『結局番茶って何ですか?』と聞かれることが多いです。そうした時に僕は美作番茶をはじめとした地方番茶のことを『お番菜(ばんざい)』の番からきているものだと説明します。番という字は『日常にあるもの』を意味するので、それほど地域に根付いているという証なんです。だから番茶と言っても、決して安くて質が悪いお茶をいうわけではありません」

    パッケージングされた「美作番茶」と「美作ほうじ番茶」。葉が大きい状態なので嵩も出る。岡山ではスーパーなどでも売られているという。蒸し製「美作ほうじ番茶」は茹でに比べて味がしっかりめ。茹でると渋味等が抜けるので「美作番茶」の方がすっきりとしていてゴクゴク飲める

    夏を犠牲にして向き合う

    茶葉を鉄釜で煮る間、小林さんは前日収穫し外に干していた茶葉の様子を確かめる。1時間ごとに茶葉をひっくり返すことで、満遍なく乾燥させる。それが終わると次に煮る用の茶葉を用意するため、袋から茶葉を取り出し再び仕分け作業を行う。そうこうしているうちに、茶葉が煮終わり、それらを釜から取り出し、籠の上に乗せてしばらくそのままにして粗熱を取る。

    前日に天日干ししていた茶葉をかき混ぜながら全体に日光が当たるようにしていく
    煮た茶葉を引き上げるところ
    煮終わった茶葉はしばらくかごの上で寝かせて粗熱を取り、その後天日干しに移る

    様々な工程を一人で横断し、全ての作業を同時進行でこなしていく。雑草の草刈りや茶葉の摘採など、部分的に家族や親戚、近所の人に手伝ってもらってはいるものの、基本的に美作番茶の工程は全て小林さんが一人で行なっている。

    「毎年夏を犠牲にする覚悟でやってますから。海行きたいなあ、なんて考えながら一人で作業してます」

    そう笑顔で語る小林さんだが、少し作業を手伝っただけの我々はすでに汗だくでバテそうになっていた。数日間手伝うくらいなら問題はないが、これを真夏にずっと続けることを考えると、小林さんが笑いながら語った言葉の重みがズシリと伝わってくる。

    そうした覚悟で今お茶づくりに励む小林さんだが、意外にも実家を継ごうと決意したのは大学3年生の頃になってようやくという感じだったという。当時お茶の知識は全くと言っていいほどなく、それまで自分でお茶を淹れたこともなかった。大学では生物系の専攻に所属し、水質調査などを行なっていた。このまま大学で学んだことを活かした職業に就くのだろう、そう思っていたそうだ。

    ここで時間はあっという間にお昼過ぎ13時近くになり、一度作業をやめて昼休憩をしようということになった。それではお弁当とお茶をいただきながら、そのあたりの話も詳しく伺っていこう。後編では小林さんの人生についても深堀りしていく。

    小林将則|Masanori Kobayashi
    1991年生まれ。1862年から続く小林芳香園の6代目。大学卒業後、東京の日本茶専門喫茶と福岡・八女の製茶園で茶づくりを勉強した後、実家に戻り家業を継ぐ。岡山県美作地域を舞台にした映画『風の奏の君へ』(2024年6月7日公開)では、お茶のシーンの監修を務めた。

    小林芳香園
    岡山県美作市巨勢2156-1
    8:00〜17:00/土日定休
    instagram.com/kobayashihoukouen

    Photo by Yuri Nanasaki
    Text by Rihei Hiraki
    Edit by Yoshiki Tatezaki

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    真夏の一番茶。美作番茶の製造現場を訪ねる 岡山・美作[小林芳香園]小林将則さん<後編>

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