• お茶はメディアアート。メディアアーティスト・落合陽一さんが語るお茶というカルチャー<前編>

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    ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ。

    建物の中を地響きのような、あるいは凄まじい突風のような、あるいは電車が通過した高架下に響くような音が響き渡る。この音は何だろう。そんな思いに頭が囚われると、また別の音が鳴り響く。今度は「ミョオオオオオン」のような、奇妙な電子音だ。

    耳をすますと、いろいろな音、しかも電子音的なものが建物のあちらこちらで響き渡っている。しかもそれは鳴り続けているのではなく、一定、あるいは不定のリズムで音が出されており、ある種自然環境下と同様の音のハーモニーが空間を満たしていた。

    この日、岐阜県高山市にある日下部(くさかべ)民藝館ではメディアアーティスト・落合陽一による特別展「どちらにしようかな、ヌルの神様の言う通り 円環・曼荼羅・三巴」が初日を迎えていた。

    幕府直轄の天領として栄えた歴史のある飛騨高山地域。古い街並が並び、外国人観光客も多く訪れる
    日下部家は幕府の天領時代に御用商人として栄えた商家。現在の日下部民藝館は1879年(明治12年)に建てられたもの。飛騨の豊富な木材と潤沢な経済力を背景に発展した飛騨の職人の技術が結集して建てられた建築物だ

    日下部民藝館は、豪快な梁組みや建物の正面の出格子など、江戸時代そして飛騨高山地域独自の建築様式が残された貴重な建造物で、建物自体が国の重要文化財としても指定されている民藝館だ。2021年から、日本の歴史文化が色濃く残るこの建物を舞台にして落合さんとのコラボレーションを展開。落合さんが掲げる「デジタルネイチャー(計算機自然)」の概念を体現する個展をここ数年続けている。冒頭、館内に鳴り響いていた音も円空仏とモジュラーシンセサイザーが融合した落合さんの新作「円空シンセ」から発せられたものだった。

    モジュラーシンセと円空仏が融合した通称「円空シンセ」。円空仏の横にあるのは1920年に発明された世界最初の電子楽器「テルミン」

    館内には円空シンセが至る所に置かれ、それぞれ異なる音を発していた
    2階奥には昨年の特別展で制作された「オブジェクト指向菩薩」が鎮座

    今年の特別展のテーマは「神仏習合」。その象徴として民藝館内の一角に設けられた神を祀る社は、「計算機自然神社」と名付けられた。その祭神は「ヌルの神様」。ヌルとはコンピュータ用語で「何もない」ことを意味する“null”。古事記では天地開闢に際して様々な神が登場するが、落合さんは「ヌル」あるいは「空性」を象徴する神も存在しうるはずだと考えた。そのように神様を“つくる”こと自体も相当ぶっ飛んでいるが、さらに落合さんは本展のために「ヌルの神様」を祀る御神体「一仏五鮎八鰻三角縁仏獣鏡(いちぶつごでんはちまんさんかくぶちぶつじゅうきょう)」も制作。加えて、特別展のオープニングセレモニーとして、神様を降ろす創建式を執り行い、落合さん自身も宮司として参加するという。

    計算機自然神社の社。計算機自然とは、自然が計算機の中にも外にも存在し、その両者が相互に作用しループを形成する概念。このループによって、デジタルとアナログ、人工と自然、人間と計算機が融合し、新たな創造性と世界観を生み出す

    社をつくり、神様をつくり、御神体をつくり、さらに自らが宮司となり創建式を行う。そこまで徹底して「神仏習合」を表現することに落合さんのメディアアーティストとしての姿勢が凝縮されていると感じたが、驚きはそこで終わらない。創建式の中で、落合さん自身がお茶を点て、神様に茶を奉じる献茶式を行うと言うのだ。

    創建式の前、献茶式のリハーサルを茶道の先生と行う落合さん

    我々が高山にこの展示を見に来た大きな理由もこれだった。

    近年、落合さんは自身の作品や活動において、お茶との関係性を深めている。2017年から制作を開始した日本科学未来館の常設展「計算機と自然、計算機の自然」では、16代樂吉左衞門の「楽焼(楽茶碗)」を3Dでモデリングし、アルミニウムで重量と形状を完璧に再現した。また、レンズと変形ミラーとスピーカーによって構築された茶室「ヌル庵」を今年発表するなど、茶室の制作もこれまでに何度か手掛けている。そして、過去には裏千家茶道の機関誌「淡交」で落合さんが茶人・北見宗幸に茶道を習う企画を1年間連載していたこともある。

    このように茶文化に親しむだけでなく、それを自らの作品にも取り入れている落合さんが、どのようにお茶の文化を見つめているのか話を聴いてみたいと思い、落合さんが献茶式を執り行うという日下部民藝館の特別展の開幕日に合わせて、今回話を伺う時間をいただいた。

    ヌルの神様の前で点てるお茶

    創建式が執り行われる日下部民藝館の中央にあたる土間には太陽の真っ直ぐな光が降り注いでいた。通常、この空間はコンクリートで舗装された地面が露出しているが、社を設けるにあたって砂利が敷かれ、一般の人が立ち入れないよう境界が作られていた。決して広くはない空間に、多くの招待客が招かれていたため、“境内”は満員状態だ。

    午前9時過ぎ。今回中心となって創建式を取り仕切る信濃國天空の社・車山神社の宮澤伸幸宮司を先頭に、宮司姿の落合さん、巫女さんが入場される。その後、祝詞奏上や社の鏡にヌルの神様を招き入れる「神おろし」、巫女さんによる浦安の舞の奉納などの神事が粛々と行われ、落合さんによる献茶式の番がやってきた。

    「落合陽一様による献茶の式」

    巫女さんの声とともに、落合さんが前に出て社に向かう。持っていた尺を懐にしまい、神前に備えていた茶碗を受け取り、後ろに設けられた茶式のある場所へと持っていく。

    静まり返った境内で、落合さんの動く音だけが聞こえる。

    通常の茶席とは異なりある程度略式化されているとはいえ、これは神の前でのお手前。独特の緊張感が境内には漂っている。落合さんの表情も真剣そのものだ。釜から柄杓でお湯を救い、茶筅通しを行う。そして棗から茶杓で茶を掬い茶碗に入れる。風炉からお湯を柄杓で茶碗に入れ、茶筅で茶を点てる。

    宮司の装束は袖が長いため、所作の最中に茶道具に当たらぬよう袖を脱いで手前を行うのも新鮮で印象に残った

    丁寧に丁寧に茶道具を扱うその所作に、メディアアーティストではなく、茶人としての顔が垣間見える。点てたお茶を神棚に供え、茶道具を調えたところで献茶式は終了。最後に関係者による玉串奉奠(たまぐしほうてん)が行われた後、参列者で神酒をいただく直会(なおらい)で計算機自然神社の創建式は無事終了した。

    仲立つ存在としてのお茶

    創建式を終えた後、式の参列者には落合さんが点てた献茶のお下がりとして、お茶が振る舞われた。日下部民藝館の歴史と風情ある和室でいただくお茶とお菓子は、とても味わい深いものだった。

    その後落合さんによる本展覧会のギャラリートークが行われた。

    その中で自身のメディアアートという芸術領域とお茶について語る場面があった。

    「メディア(media)とは日本語で媒体。そしてこの『媒』という字の訓読みは『なかだち(=仲立ち)』。柳宗悦は1932年に日本初の写真雑誌『光画』で『写真は近代に於て吾々の直感を活かす重要な仲立ちである』と述べています。そしてメディアアートというのは“媒体それ自体に非常に意識的な芸術である”ということです。だから私はメディアコンシャスな日本文化の展示をよくやっているのですが、お茶もそれ自体が非常にメディアコンシャスなものです。だって茶道具を右手で持つか左手で持つか、非常に迷うわけですから。これは非常にメディアコンシャスだと言えます。お茶はメディアであり、メディアアートとの親和性が非常に高いカルチャーだと思っています」

    お茶はメディアアート。落合さんの言葉を聴いて、なるほどと合点がいくと同時に、もう少しこの言葉についてインタビューで伺ってみたいと思った。

    ギャラリートークを終え、落合さんがメディア対応や展示物の確認等の時間を終えた後、お話を伺う時間をいただいた。

    まずは本日の献茶式について振り返ってもらった。

    「お茶を習っていたので、創建式で献茶式をやってみたいなとふと思ったんですけど、実際やってみてあんなに献茶式が難しいものだとは思っていませんでした(笑)。普通に濃茶を点てるだけじゃなくて、神様の前なので普段の手前とは随分勝手が違うし、炭手前などがなかった分、風炉周りの所作に茶道のエッセンスが集約されている感じがしました。本番は3カ所ぐらいミスしてしまったのですが、献茶式はやれて非常によかったです。『起こしたものは仕舞う』という動作が一連のプロセスの中に含まれているお茶のカルチャーの面白さを改めて実感しました」

    改めて、落合さんとお茶の関係についても尋ねてみた。近年、ますますお茶との距離が深まっているように感じる落合さんだが、お茶との出会いはどのようなものだったのだろうか。

    「家族がお茶をやっていたので、実家に茶室があったんです。だからといって子どもの頃は特にお茶に興味があったわけではなかったのですが、身近なものではありました。季節のものがあって、掛け軸があって、お花がある。そうした茶室の空間そのものには親しみがありました。それから楽茶碗を3Dプリンターで作らせてもらったり、ガンダムのプラモデルの廃材を使った茶室『可塑庵(ぷらあん)』を作ったり、『淡交』では茶道を習わせてもらったり。大人になってからお茶との関わりは深くなってきましたね」

    実家に茶室があり、幼い頃から茶室に親しみがあったと語る落合さん。驚きの茶との出会いだが、そうしたバックボーンが、落合さんのメディアアーティストとしての創造性や思想と結びついて、現在落合さんの芸術作品に茶のモチーフが頻繁に登場しているのは非常に面白いと感じた。

    どのように落合さんの作品にお茶が絡み合うようになってきたのだろうか。先ほど落合さんは「お茶はメディアアート」だと語ったが、それにも関わる話だろう。つづきは後編に継ぎ、落合さんの視点から見たお茶のカルチャーについて、より深堀りしていこうと思う。

    落合陽一|Yoichi Ochiai
    メディアアーティスト。1987年生まれ、2010年ごろより作家活動を始める。メディアアートを計算機自然のヴァナキュラー的民藝と捉え、「物化する計算機 自然と対峙し、質量と映像の間にある憧憬や情念を反芻する」をステートメントに、研究や芸術活動の枠を自由に越境し、探求と表現を継続している。筑波大学准教授。2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)テーマ事業プロデューサー。近年は茶文化への深い興味を持ち、活動や展覧会には頻繁に茶のモチーフが出現している。
    yoichiochiai.com(公式サイト)
    note.com/ochyai(note)

    日下部民藝館特別展「落合陽一 どちらにしようかな、ヌルの神様の言うとおり:円環・曼荼羅・三巴」
    開催期間:2024年9月14日(土)〜11月4日(月祝)
    開催時間:10:00〜16:00
    開催場所     日下部民藝館(岐阜県高山市大新町1-52)
    kusakabe-mingeikan.com(日下部民藝館ホームページ)

    Photo by Tameki Oshiro
    Text by Rihei Hiraki
    Edit by Yoshiki Tatezaki
    Produce by Nanami Kanai

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