• 日本茶に新たな価値をもたらすために、自分にしかできないことを
    静岡[NO'AGE concentré]井谷 匡伯さん<後編>

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    お茶だからこそ“合う”。ティーカクテルと創作料理のペアリング 静岡[NO’AGE concentré]井谷 匡伯さん<前編>

    静岡駅から徒歩10分ほどの場所にある静岡市鷹匠地区。ここは以前取材で訪れた[GOOD TIMING TEA](記事)もある閑静かつ洒脱な雰囲気のエリアなのだが、そこからすぐの場所に、今の静岡、ひいては日本のお茶シーンにお…

    2024.11.22 INTERVIEW茶と食

    学生時代は料理人を目指して調理師専門学校に通っていたという井谷匡伯さんは、手荒れに悩まされたことで料理人からバーテンダーへと転身することになる。鹿児島でバーテンダーとして研鑽を積んだ後、2000年に地元の静岡県袋井市で「Bar NO‘AGE」というオーセンティックバーを創業。料理の知識を活かしたカクテルスタイルは次第に注目を集め、様々なカクテル専門書やペアリング専門書へ掲載されるようになる。2016年には、「ヨコハマ・インターナショナル・カクテルコンペティション」のクリエイティブ部門でグランプリを獲得するなど、井谷さんはバーテンダー業界から一目置かれる存在になっている。

    「Bar NO‘AGE」は[NO’AGE concentré]をスタートさせるにあたって閉店することになるのだが、それまでバーテンダーとして順風満帆とも言えるキャリアを歩んできたかのように見える井谷さんが、なぜオーセンティックバーのスタイルを捨てて、新たにティーカクテルと料理のペアリングを提供する店を始めようと考えたのだろうか。その決断に至ったいくつかの思いを井谷さんは話してくれた。

    「前の店には県外からもバーテンダーの方が遊びに来たり、勉強に来てくれることが多かったんですけど、そのなかで『なんで静岡でお茶のカクテルをやらないんですか?』と言われることが多かったんですね。それがまず一番のきっかけですね。[NO’AGE concentré]を始めた頃には既に東京には[ミクソロジーサロン]や[櫻井焙茶研究所]をはじめとしてティーカクテルを扱う場所があったのに、静岡にはなかった。東京オリンピックを契機にお茶をコンテンツにしたお店が各地に増えていくなかで、静岡ではなぜそれをやらないのかと、すごく言われました。そうした中で、父の言葉を思い出したんです」

    通常は閉まっているバックカウンターの扉を開けると、さまざまなお酒が並んでいた
    バックカウンターには井谷さんが自ら選んで買った茶器が並ぶ。かつて常滑の急須館を訪れたときに館長から言われた「高くても安くてもいいから手に馴染むものを使ってください」という言葉を大事にしているという

    井谷さんのお父さんは、農協や製茶会社などで働いた後、お茶の機械メーカーで茶業コンサルタントとして働き、そこではお茶農家に技術指導を行う仕事に従事するほど、茶業に精通した方だったそう。長年茶業界に携わってきた井谷さんのお父さんは、茶業界の未来を案じ、次のようなことを井谷さんに言っていたという。

    「父は茶業界に長く勤めた人ですが、保守的な考え方の人ではありませんでした。ペットボトルのお茶もよく研究していて、高く評価していたんです。『ペットボトルのお茶があるから、今のお茶農家さんたちが守られている。お茶業界の人は伝統的な業界の慣習ややり方を守るだけでなく、何か新たな付加価値をお茶につくっていかないといけない』とよく言っていました。それに私自身、バーテンダーもお茶のことをよく知るべきだと思ったんですね。バーテンダーってお酒のプロのように思われるかもしれないですけど、実際は我々は“ドリンクのプロ”なんです。お酒もコーヒーもお茶も、全ての液体を網羅している人間がバーテンダーであるべきだと、私は思います。だからバーテンダーの間でお茶の知識が圧倒的に不足している現状も私は変えたいと思いました。そうした周囲の状況や父の考えから影響されて、何かできないかと思ったんです」

    「世界からの評価も高い日本のバーテンディングは、茶道の考え方に通じるものがあるんです。茶道の丁寧な所作がバーテンディングの動きに応用できるところがある。僕らの大先輩のバーテンダーの方には茶道を習っていた方が多いです」と、茶道とバーテンダーの意外な関係性を語ってくれた

    そうして2021年にオープンした[NO’AGE concentré]。お茶処・静岡でお茶に新たな価値を吹き込もうと意気込んで始めたが、井谷さんは静岡だからこその思わぬ壁と直面することになる。

    「静岡でお茶をコンテンツにするのって本当に難しいことを痛感しました。県民の中でお茶の価値がとても低いものになってしまっているんですよね。最初お茶の店をやろうと決めた時は、『お茶かあ……』と微妙な反応をされたことが何回もありました。店を始めた後もその反応はよくありましたし、中には『お茶ならいいわ』と言って帰っていった人もいました。それほどお茶というものが静岡の人にとって身近な存在なんです。お茶処だからこそ、お茶の価値がどんどん落ちてしまっているという、悪循環に陥っているとも言える状況です」

    こう語る井谷さん自身もかつてはお茶には全く興味がなかったという。「普段からお茶がそばにあるので、お茶でお金を取るの?と思っていました。だからお茶を扱い始めた時、お茶の価格に驚きましたね。良いお茶はこんなに高いものなんだと」

    どうすれば静岡の人にもお茶が“刺さる”ようになるのか。井谷さんが見出したのが料理とティーカクテルのペアリングというコンセプトだった。井谷さんは[NO’AGE concentré]のスタイルに行き着いた理由をこのように語る。

    「料理とともにお茶を飲む習慣って、実はあまり全国的にはないんですよね。おそらく静岡ぐらいだと思うんです。僕はバーテンダーの修行で鹿児島で働いたことがあるんですけど、お茶の産地の鹿児島ですら基本的にご飯の時にはお茶は出てこなかった。それが静岡に帰ってくるとやはりご飯と一緒にお茶を出してくるんですよね。給食にも毎回お茶がだされますから、その組み合わせが静岡県民には染み付いているのかなと。それでティーカクテルと料理のペアリングという形なら活路があると思ったんです」

    葛藤を抱えながらも店を続けていく

    この[NO’AGE concentré]の唯一無二のスタイルは井谷さんがそれまで培ってきたバーテンダーとしてのスキルを存分に活かせるだけでなく、料理人になるという長年の夢を叶えるものでもあった。20年続けてきた店を畳む判断ができたのも、料理人への憧れがあったからだ。

    「小学生の頃から料理人になることを目指していましたから。手荒れがひどくて一度はその夢を断念してしまいましたけど、いつか必ず夢だった自分のレストランをやろうと心に決めていました。鉄板を置いた店にするのもずっと前から決めていたんです。とにかく、人生は一回しかないのだから一度は料理人として頑張ってみようと」

    お茶のコンテンツはなかなか一般の静岡市民の方々には受け入れられにくいものではあったが、井谷さんの熱い思いとティーカクテルを扱うお店のスタイルを県内の茶業関係者は歓迎してくれ、井谷さんのお店の盛り上げに貢献してくれたという。

    井谷さんにとっての「美味しい」とは「バランスが取れていること」。人それぞれ千差万別の味覚のなかで、誰しもが美味しいと思うバランスを探っていく。お客さんにとっての「美味しいもの」と井谷さんにとっての「美味しいもの」。その振れ幅を“プラマイ3”ほどの誤差に収めることを目標にしていると語る

    今年で3年目を迎えた[NO’AGE concentré]。メディアで取り上げられる機会も多くなり、夢だった料理人としても働くことができている今は井谷さんにとって幸福なことのように思える。しかし井谷さんは「葛藤や悩みを抱え続けた3年間だった」とも語る。オープンはコロナ禍とも重なった。それに料理もカクテルも全て一人で作るため、体力的にも相当厳しいものを感じながらやっているという。「毎回ディナーのコースのお客様を見送っている時に頭の中で『サライ』が流れるんです」と井谷さんは笑うが、実際に目の前で料理やカクテルをさばく姿を見ると、いかに神経を注いで一品や一杯を作っているかが伝わってきた。そして、井谷さんにとっての一番の悲しみは「常連との別れ」だという。

    「[NO’AGE concentré]を始めてから、前の店のお客さんはほとんど来てくれなくなりましたね。20年以上バーをやってきたので、常連さんとの別れはものすごく寂しいです。そういった意味でもこの3年間はいろんな葛藤を抱えながら続けてきた時間でした」

    一人で店をやるためのエネルギー、常連との別れ。新しい料理やカクテルを毎回考えるのも、相当な「産みの苦しみ」があると井谷さんは語った。美味しい料理とカクテルをいただくとつい忘れがちなひとつの店を続けていくことの苦労や悩みを井谷さんの言葉の中に垣間見た。おそらく取材の中では語り尽くせぬ葛藤もあっただろう。

    しかしそうした思いがありながらも、井谷さんはこれまで[NO’AGE concentré]を続けてきたし、これからも体力が持つ限り、続けていくつもりだ。

    「お茶を始めたことによって、お酒の世界にはなかった価値観や人々にたくさん出会えるのがすごく楽しいんですよね。それに今私は、私にしかできないことをやっていると思うんです。ティーカクテルと料理のペアリングをすべて一人で提供することは、世界中で私にしかできないこと。別にそれで何か評価してほしいわけじゃなくて、自分にしかできないことでお客さんが美味しいと言ってくれれば、私は満足なんです。すごく大変ですけどね(笑)」

    日本茶という文化に誇りを持ってほしい

    最後に、お茶を一杯淹れていただいた。井谷さんが選んだのは昨年静岡の茶業研究センターが発表した新品種「ゆめすみか」だった。

    花のような香りがほのかに漂う「ゆめすみか」。渋みもなくスルリといただける一杯だった

    「この品種は誕生したばかりで普通の煎茶で飲むとまだまだパワーが弱いのですが、私はすごくポテンシャルを感じています。この茶葉を萎凋させていくとスミレのような華やかな香りがどんどん強くなってくるんです。静岡には同じく香りが特徴的な『香駿』がありますけど、これは『香駿』を超える人気品種になっていくのではないかと注目しています」

    これからの静岡茶の未来を担う品種とも言える「ゆめすみか」。その登場を嬉しく思う気持ちと同じように、井谷さんは静岡の茶業界についても明るい未来を見ている。

    「静岡の茶業界で働く若手の方々はものすごく頑張ってらっしゃるなと思います。本当にすごいなと。同時にお茶も最近は若い人たちにとってのオシャレなコンテンツのひとつになりつつあると感じます。日本茶は日本が誇る文化だと思っています。ルーツは中国にありますけど、ジャパニーズティーとしてのジャンルがあるわけですから。だからもっとお茶に対して誇りを持ってもらいたいし、お茶についてもっと知ってもらいたい。特に静岡に住んでいる子どもたちにはそう思います。そのための施設として大井川に『ふじのくに茶の都ミュージアム』があったり、伊藤園さんも東京ですけどミュージアムを造りましたよね。日本のお茶文化を伝える施設は本当に大切だと思います。そういった場所から学んだ子どもたちが、日本のお茶文化を未来まで繋いでいってくれたら嬉しいなと思いますね」

    味、香り、質感を細かく設計し尽くしたティーカクテルと料理のペアリングによって、ここにしかない食体験を提供する[NO’AGE concentré]。バーテンダー兼料理人という異色の肩書きを持つ井谷さんは、日本茶の誇りを背負って今日も一人店のカウンターに立っている。

    そんな井谷さんにしか作り出せない世界観は、体験した人にとって忘れられないお茶との出会いになるだろう。それも、日本茶という文化を未来に繋いでいくためのひとつのアクションになっているはずだ。

    井谷 匡伯 |Masamichi Itani
    大阪あべの辻技術研究所修了。その後、料理人として就業を経て、酒を調合するバーテンダーへと転身。2000年に地元の袋井市にて「Bar NO‘AGE」を創業し、2007年に静岡市へ移転。様々なカクテル専門書やペアリング専門書へ掲載され、2016年には「Yokohama international cocktail competition」クリエイティブ部門グランプリを受賞。2021年に、鉄板を使用した料理と今までの20年間を「濃縮」「集中」させるスタイルとして店名を「NO’AGE concentré」とし、新たなるスタートを切った。
    instagram.com/noage__concentre

    NO’AGE concentré|ノンエイジ コンセントレ
    静岡県静岡市葵区鷹匠2-5-12
    12:30〜14:00(土曜日のみ)
    17:00〜19:00(最終入店)いずれも要予約
    Bar TIME SNSおよび電話にてご確認ください
    不定休
    TEL 054-253-6615
    barnoage.com
    instagram.com/noage__concentre

    Photo by Takuro Abe
    Text by Rihei Hiraki
    Edit by Yoshiki Tatezaki

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