• 心地いい空間で、お茶とお酒を嗜む時間がもたらすもの
    茨城・潮来[偶吟]旦さん<後編>

    2025.01.17

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    日本茶と日本酒、20歳で出会った人生の核。若き店主が目指す理想の空間 茨城・潮来[偶吟]旦さん<前編>

    東京駅から高速バスでおよそ1時間30分ほどのところにある茨城県潮来(いたこ)市。湖としては日本第二位の面積を誇る霞ヶ浦という豊かな水景色に囲まれたこの街に、最近新たなお茶の“波”を感じさせる店がオープンした。そんな噂を聞…

    2025.01.10

    茨城県潮来(いたこ)市にある[偶吟]は、日本茶と日本酒を提供する、穏やかな雰囲気が流れる小さな店。前編では煎茶を淹れていただいたが、せっかくなので[偶吟]のもうひとつの柱である日本酒とそれに合うおつまみもいただくことにした。

    店主・(あさき)さんに「日本茶好きの方におすすめするなら?」というお題で日本酒をお願いしたところ、30種類以上にもおよぶストックの中から「日本茶好きの方なら個性的なお酒が好きかな」と3つのお酒を持ってきてくれた。

    写真左から[つけたろう酒店]禁忌、[寺田本家]自然のまんま、[稲とアガベ]稲とジャスミン

    「こちらは[つけたろう酒店]という会員制の酒屋サービスが手がけた『禁忌』というお酒です。通常日本酒造りにおいて酢酸菌は入るべきではない存在なのですが、繊細なバランスで酢酸発酵したこのお酒は、お酒とお酢の中間のようなバランスのいい甘酸っぱい味わいが特徴です。[寺田本家]さんは全て無農薬米、無添加物で酒造りをしているのですが、微生物も蔵に昔から住み着く菌を使っているという正真正銘の自然酒造りをしている酒蔵です。そのコンセプトも素晴らしいですし、味わいもとてもいいんです。この『自然のまんま』も、飲み疲れることのない、身体にいいものを摂取している感じがすごくします。最後に紹介するのは、秋田のクラフトサケ醸造所[稲とアガベ]の『稲とジャスミン』というお酒です。ジャスミンの香りを何度も繰り返し酒に移したこのお酒で、お酒とジャスミンの風味の相性がとてもいいです」

    三者三様の日本酒はどれも一般的な日本酒とは全く異なる個性的な味わいだったが、どれも飲み出したら止まらなくなってしまうほど、味わうのが楽しくなるようなお酒ばかりだった。

    手前のプレートに置いてあるのがセロリと貝ひものレモンマリネとお茶うけセット。右奥にあるのがおでん
    お茶うけセットは、新茶茶葉の佃煮、大根の柚子ポン酢漬け、茶梅、粕漬で構成されている

    そして旦さんはいくつかの“こつまみ”も用意してくれた。[偶吟]では日本酒と日本茶をメインに取り扱っているが、それらに合わせた甘味やこつまみを提供している。今回出してくれたのは「おでん」「セロリと貝ひものレモンマリネ」「お茶うけセット」。甘味やおつまみは全て旦さんの手作り。料理は独学という旦さんだが、どの料理も優しい味わいでお酒とよく合う。そして何よりも料理やお酒自体の味わいも[偶吟]という空間によく調和している。だからか、料理を食べ、お酒を口に運ぶと自然と心が穏やかな気持ちになってくる。思えばこんな心地いい空間で、ゆったりとお酒とお茶を同時に楽しむことが今まであっただろうか。

    偶吟は基本的に昼オープンだが、日本茶も日本酒もどちらもオープンから提供している。これこそが偶吟がカフェでもなく、居酒屋でもない最大の理由だと思うのだが、つまり偶吟にとって日本酒と日本茶はどちらも等しく並び立つ存在なのだ。日本酒と日本茶の共通点を旦さんはこう語る。

    「日本茶と日本酒の最大の共通点は、余韻の美しさだと思います。日本茶ってどんなに渋いお茶でも、飲んだ後に口の中に甘さが残ると思っていて、それがとても味わい深いんです。それと同じように日本酒も口の中に残る余韻がすごく心地いい。いいお茶もいいお酒も余韻が魅力的な部分だと思っています」

    続けて旦さんは「お酒やお茶を“嗜んで”ほしい」と語った。普段お茶やお酒を飲む時、その味わいばかりに目が向かいがちだが、それらが生み出す余韻の時間にこそ本当の価値があるのかもしれない。そう思わずにいられないような、[偶吟]という店のあり方であり、豊かな個性をお酒とお茶どちらからも感じた。

    その時の食材、あるいは旦さんの気分に合わせてメニューは変わる。縛られず気ままな感じがいかにも偶吟らしい。季節に応じた期間限定メニューも豊富

    物語の中にいるような感覚

    既に店のスタイルや取り扱うメニューまで完成していると言っても差し支えないように感じる[偶吟]。しかし店を構えた場所は人通りも少なく、父親の故郷といえど旦さん自身には特に知り合いが近くにいるわけではなかった。不安の中でのスタートを旦さんはこう振り返る。

    「店の開店準備を始めた頃に父の知り合いたちとお話する機会があったんですけど、その時に『この辺りでお酒を出す店を開いても、ただの酔っ払いのおっちゃんしか来ないよ』と言われたんです。それを聞いて私は逆に『絶対にそんな店にしないぞ』と意気込んだんですけど、まだ何もない店の準備をしながら、お店の前を通る人が誰もいない光景を見ると『やっぱり無理かもしれない』という気持ちが湧いてきました。あの時が一番苦しい時期でしたね」

    「でもまずは一回作ってみるしかないと思ったんです。自分の理想とするお店を作ることに集中して、お店がどうなるかはそれができてからまた考えようと。でもオープンしてみたら何の困ることもなくお客さんが来てくださっているので、本当にありがたい限りです」

    [偶吟]は確かに近隣住民でなければ少しアクセスしにくい場所にあるのだが、お店を訪ねるお客さんの割合はむしろ遠方の人が多いのだという。女性や一人客が多く、日本茶や日本酒が好きというよりも、この空間を欲して来てくれる人が多いそうだ。

    「素敵な時間の過ごし方をされている人を見ると、本当に物語の中にいるような感覚を覚えるんです。店に置いてある小説の短編を来るたびに一編ずつ読んでいかれる方とか、飲み物や料理を提供するプレートに載せた経木に、その日飲んだお茶の名前や感動した本の一節を書き留めておく方がいて、すごくいい時間を過ごされているなあと思いますね」

    そして店を続けていく中でお客さんとの出会いが思いがけない展開に繋がっていくこともあると旦さんは語る。

    「la renonculeさんというオーガニックフラワーを扱っている移動式のお花屋さんが偶吟の常連になってくださっているのですが、その方とはお花の販売を偶吟で行うコラボイベントを行いました。あと、去年の5月頃に提供していたいちご×抹茶ラテにしても、お客さんの中にイチゴ農家の方がいて『ラテにイチゴを使ってみない?』と言ってくれたのがきっかけで誕生したものでした。近所の方から食材をいただくこともあるし、こういう場所や空間ならではの温かみを感じることが多いです」

    [偶吟]という店のあり方は、はじめから完成していたたわけではなく、お客との交流から思いがけず生じる何かを大切に受けとめ、少しずつ変化している。今年からは、お客それぞれの思いに寄り添えるように、日本茶の提供方法も変える予定だという。

    「これまでは日本茶を提供する時は必ず三煎飲んでいただいたのですが、一煎だけぐびっと飲みたい方用と、ゆっくりとお茶と向き合いたい方用に、メニューを分けようかなと考えています。三煎飲む方には、ちゃんとお客さんと向き合ってどんなお茶を飲みたいか相談しながらお出ししていきたいと思っています。今までは自分の中でこの茶葉はこうと決めていた部分があったのですが、より柔軟な提供ができればと思います」

    [偶吟]ではそれぞれ異なる味わいが楽しめるシングルオリジンを5種類ほど常に用意している

    こつまみと日本酒をいただき、〆に旦さんは偶吟で一番人気だという抹茶ラテと最中を出してくれた。京都[有田三翆園]がつくるおくみどりの抹茶をふんだんに使用したその味わいは抹茶本来の風味が凝縮されている。深蒸し煎茶を漬け込んだ自家製シロップもグラスの底に入っていて、そのほどよい甘さも相まって絶妙なバランスの一杯だ。

    底に煎茶シロップ、抹茶、その上に抹茶を注ぐ。綺麗分かれた層が美しい。甘さは「無・控えめ・普通・甘め」の4種類から選べる

    偶然から生まれる出会いを
    吟味するように深く向き合ってほしい

    偶吟という店名には、ひとつ意識を向ければ偶然のような思いがけない出会いがそこかしこにあり、そうした出会いがもたらす一時を吟味するように深く向き合う時間を過ごしてほしいという思いが込められているという。

    「『水は方円の器に(したが)う』という言葉に出会ったことがまずきっかけになっています。水が容器によってその形を変えるように、人も人間関係や環境次第で良い方向にも悪い方向にも流されてしまうという意味があります。私は、何にでもなれるというポジティブな意味をこの言葉から受け取りました。この言葉について調べてみたら、唐の詩人 白楽天の『偶吟』という詩にある言葉だということがわかって。それで偶吟という単語もいい言葉だなと思い、“偶然から生まれる出会いに意識を向け、吟味するように深く向き合ってほしい”という思いを込め店名にしました」

    オープンから多くの人に支えられ、また多くの人にとっての憩いの場として育っている[偶吟]は、まさに「水は方円の器に随う」という言葉通り、良い形を保っているように思える。

    オープンから一年半余りが経った今、旦さんは日本茶との出会いをどのように感じているのか、最後に尋ねてみた。

    「日本茶を知れて本当に良かったと思うことしかないです。茶農家さんの畑に伺うこともあるのですが、やはりみなさんそれぞれのやり方があるのが本当に面白いです。日本酒の蔵元を訪れた時も感じますが、つくり方にも向き合い方にもそれぞれのこだわりがあって、そうしていろいろな味わいが出来上がっていることを実感するので、それをみなさんこのまま続けていってほしいなと思います。でも知れば知るほど、いろいろな課題があることも知って、それに対して自分ができることなんてあるのだろうかと思ってしまうこともあります。でも、問題を解決するような大きなパワーは持っていないけど、日本茶の世界の入口に誰かを連れていくことはできるのかなと。日本茶も日本酒も自分の心の癒し。それを共有するように、少しでも誰かの心の拠り所になるような空間をこれからも提供していけたらと思っています」

    冬らしい低く差し込む陽の光が、入口側の大きな窓から綺麗に入り込むようになってきた。看板猫のメープルが窓際に置かれた椅子に移動して、そこでひなたぼっこをしている。そんな姿を眺めているだけでも、日常で普段感じることのない心の和らぎを感じる。

    こんな店がいつまでも続いてほしいと思うばかりだが、今後の展望については「特には決めていることはない」とのこと。どこまでも自然体。[偶吟]という空間を短い時間ながらも体験して感じたことは、空間と旦さんが一体となっているということだった。それはこの場所に嘘がない、ということでもあるのかもしれない。だからこそ、ここを訪れる人は[偶吟]に心を委ねることができ、自然と心が癒されていくのだろう。

    決して派手で華やかなものではないけれど、誰もが感じられるような日常にある素朴で穏やかな幸せ。それが何よりも大切なことだと[偶吟]は教えてくれる。

    旦|Asaki
    2000年生まれ、東京出身。会社員として働いていた20歳の時に日本酒に魅了され、日本ソムリエ協会が実施する「SAKE DIPLOMA」の資格を取得。さらに、日本茶インストラクター協会が実施する「日本茶インストラクター」の資格も取得。2023年6月、茨城県潮来市に日本茶と日本酒のお店[偶吟 gu-gin]をオープン。Asakiは本名から。

    偶吟|gu-gin
    茨城県潮来市潮来134
    不定休(Instagramの固定投稿にてご確認ください)
    instagram.com/__gu_gin___

    Photo by Hiroki Yumoto
    Text by Rihei Hiraki
    Edit by Yoshiki Tatezaki

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