• 離島に新たな農業を。メイドフロム対馬が生むオンリーワンの味わい
    長崎[つしま大石農園]大石裕二郎さん<前編>

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    海に緑の島が浮かんでいる。空からは、島の9割を山地が占める対馬の姿がよく見えた。

    プロペラ機から対馬空港に降り立ち、ひたすら車で北上する間、見慣れたコンビニはひとつもなく、周囲を森に囲まれた道路をただただ進むだけだった。

    古代から、対馬は大陸と日本を結ぶ重要な経由地として人と物の交流を支えてきた。大陸から伝わったお茶も、日本に最初に伝わったのは対馬かもしれない

    今回の目的地は、対馬唯一の茶農家[つしま大石農園]だ。[つしま大石農園]では主に和紅茶がつくられており、その味わいは高く評価され、様々なコンテストで入賞を果たしている。漁業が盛んな対馬の中で、なぜお茶づくりをしているのか、そしてどんなお茶づくりをしているのか、そんなことを考えながら対馬の豊かな自然の中を車で進んでいった。

    対馬空港から1時間半ほど車を走らせると、水田地帯が広がっていた。ここは対馬最大の農業エリアである佐護と呼ばれる場所。ほとんどが山地の対馬においてこのエリアは平地が多く、佐護川という河川もあるため農業に適した場所なのだそうだ。[つしま大石農園]もこのエリアの近くの山地に複数の茶畑を持っている。対馬を象徴する国指定の天然記念物ツシマヤマネコも、餌が豊富な佐護地区に姿を見せることがあるという。

    出迎えてくれた大石裕二郎さんは、農園の2代目。裕二郎さんの父・孝儀さんと祖父が始めたお茶の栽培を手伝うため、2017年に当時働いていた静岡から両親の地元である対馬に引っ越してきた。昨年からは裕二郎さんが孝儀さんから代表を引き継いで、農園の舵取りを担っている。

    [つしま大石農園]の二代目・大石裕二郎さん

    早速、裕二郎さんは、山の斜面に切り拓いた[つしま大石農園]のメインの茶畑を案内してくれた。

    「ここは、うちが2007年にお茶を始めた時、父と祖父が最初に切り拓いた茶畑です。元々は祖父が椎茸栽培をしていた圃場だったのですが、祖父は中国の椎茸輸入自由化をきっかけに早々と椎茸栽培から撤退したため長らく使われていない場所でした。そこで長崎県の農業指導員の仕事を退職し対馬へと帰ってきた父が、何か対馬に適した農業を始めようと思い、お茶と柚子の栽培を始めたのです」

    メインの茶畑は、現在孝儀さんが管理を担当している。写真右上の少し開けた場所には在来種も生えており、一年に一度手摘みするという

    [つしま大石農園]ではお茶と並ぶ主要な作物として柚子も生産している。農業指導員時代、果樹が専門だったという孝儀さんが柚子を始めたのはわかるが、なぜお茶もつくるようになったのか。一見共通点のないように見える両者だが、対馬に適した農作物という点でどちらもうってつけの特徴があった。それは「獣害に遭わない」ということだった。

    「対馬は長い間、増えすぎたシカやイノシシの獣害に悩まされています。島の人口は28,000人ほどですが、それよりもシカやイノシシの数の方が多く、動物たちは島の農作物や植林した新芽を食い荒らし、農林業に大きな被害をもたらしています。しかしお茶と柚子ならばシカやイノシシの食物ではないため獣害の被害に遭うことはありません。さらに山地でも育てることができ、比較的管理もしやすい農作物だったことが決め手となったそうです」

    畑の周囲にあるネットに絡まったシカが白骨化したもの

    ゼロから始まった「べにふうき」での和紅茶づくり

    [つしま大石農園]では主に和紅茶をつくっており、その品種も「べにふうき」に特化している。父・孝儀さんは当初、べにふうきで和紅茶ではなく釜炒り茶をつくりたかったのだというが、べにふうきは緑茶にすると苦味が強かったため断念。代わりに紅茶にしてみたところ美味しく出来上がり、鹿児島県・枕崎にある茶業研究所の専門家からも高い評価を得た。そこから、べにふうきでの和紅茶づくりに特化するようになったという。

    取材中、別の畑で作業をしていた孝儀さんにも話を伺う機会があった。まだべにふうきでの釜炒り茶を諦めていないという孝儀さんだが、紅茶づくりについての持論をこう語ってくれた。

    「緑茶の考え方を紅茶に当てはめてはいけないと思うんです。紅茶は茶葉の固い部分も使うので、発酵しにくいんですよね。だから十分に揉捻して発酵させなければいけませんが、それを十分にしていない人が多いのではと思うんです。それは新芽の部分を摘んで、発酵させないようにする緑茶のつくり方を引きずっている部分があるのかなと。緑茶と紅茶は全然別物だから、葉の状態によって発酵や揉捻を変えていかないといけないんです」

    初代・大石孝儀さん

    紅茶は緑茶と同じ考え方でつくってはいけない。孝儀さんとはお茶づくりで意見がぶつかることが多いという裕二郎さんもその点については同じ考えだという。

    「私自身も緑茶をつくっている茶農家さんと話す時に、紅茶と緑茶の考えは違うなというのを感じたことがあります。緑茶は色や旨み引き出すために、お茶にしっかり栄養を与える考え方をするじゃないですか。でも紅茶の場合は、逆に茶樹を“いじめた”方がいいんですよね。我々は対馬の環境を活かした畑づくりをしていますし、畑の設計から違ってくるんです」

    孝儀さんも裕二郎さんも茶農家としてはほぼゼロからのスタートだったが、今では和紅茶づくりへの誇りを持っていることが二人の言葉から感じ取れた。

    [つしま大石農園]で栽培している品種はほとんどが「べにふうき」だが、一部釜炒り茶用に「おくみどり」も栽培している

    改めてこのメインの茶畑を見返すと、ある種[つしま大石農園]の誇りが詰まっていると感じた。畑をよく見てみると、畝の幅が一般的な茶畑よりも広く、高さも波打つように凸凹している。それは当時孝儀さんが手探りの状態で畑づくりをしたからだという。

    「父は長崎県の農業普及員として働いていましたが、果樹を担当していたのでお茶に関しては専門外でした。慣れていない中、独学でお茶栽培を始めたのでちょっと茶畑が歪な形をしているんです。お茶のプロの方からすると、素人でここまでやるのはすごいねと言ってもらえるんですけどね」

    確かに歪な部分もあるが、お茶づくりの経験がないところから「対馬に適した新しい農業を」という熱い思いを抱えて土地づくりに励んだ跡だと知ると、それはむしろ[つしま大石農園]の誇りのように感じる。今では国内の数々のコンテストで評価される紅茶を作り上げるに至った[つしま大石農園]の歴史はここから始まったのだ。

    対馬の資源を活用した、対馬ならではの循環型農法

    続いて、裕二郎さんが管理しているという別の茶畑を訪れた。元々は蕎麦畑だったというこの茶畑では、多様な肥料の扱いが目にとまった。まず畑には汚泥発酵肥料が畝の間に撒かれていた。この肥料は対馬島内で発生した生活排水やし尿を発酵させ堆肥化したもの。通常は処理された汚泥は焼却などされて最終的な処分となるが、島内にはそうした施設はなく、島外に持ち出すにしても運搬コストや様々な制約から困難な状況にある。そのためこうして肥料として活用するわけだが、農家が少ない対馬ではその需要は高くなく、汚泥発酵肥料がどんどん溜まっていく一方だという。

    畝の間に黒い汚泥発酵肥料を撒いていく。夏はきつい匂いがするという

    [つしま大石農園]では、この他にもそうした島内で生まれた肥料をお茶づくりの肥料として活用している。佐護地区では米がつくられているためそこから排出された籾殻や、土木作業中に発生した木屑や樹皮などからつくられたバーグ肥料も畑の土づくりに欠かせない肥料として使われている。

    近所の農家からいただいた籾殻
    バーグ堆肥。豊富な栄養素を含み、カブトムシの幼虫もわんさか出てくるという

    さらに、畑の隅に置かれていた黒い土の塊のようなものを発見した。裕二郎さんに聞いてみるとそれは馬糞とのことだった。

    「日本には在来馬が8種類いるのですが、そのうちのひとつが対馬の対州馬です。現在では40頭ほどしか生息しておらず、絶滅の危機に瀕しています。対州馬の放牧場がこの近くにあるのですが、その馬糞をうちで引き取っているんです。以前は山の方にある飼育場に集めていたそうなのですが、それならうちで使いたいと。これも堆肥にして、土づくりに活かしています」

    裕二郎さんの対州馬への思いは強く、最近では対州馬のデザインを施したお茶缶の販売も始めたという。

    対州馬の糞を堆肥化したもの

    こうして茶畑を見させてもらうと、離島ならではの事情も相まってのことだが、[つしま大石農園]では対馬で生まれるものをフル活用してお茶づくりに励んでいることが伝わってくる。取材途中、近くの工場から生コンクリートが余ったという連絡が裕二郎さんに入り、それを受け取りに向かう場面もあった。生コンは畑に雑草が生えないように周囲の土を固めるために使う予定だという。

    「お茶の名産地になってくると肥料なんかも違う地域から取り寄せてると思いますけど、我々の場合は対馬の中で回していくしかないんです。それによって対馬独特のお茶の味わいが生まれていると思います。同じ品種で、同じつくり方をしている農家さんは他の地域にもいますが、やはり味は違ってきますね。そんなふうに同じお茶でも地域それぞれで差別化されて、お互いに良いものが生まれるのはお茶業界にとってもいいことだと思います」

    使えるものは使う。[つしま大石農園]でつくられているお茶は、まさに「Made from 対馬」と言えるものだった。島の資源をフル活用した対馬ならではの循環型農法は、対馬だからこその味わいになっていくのだろう。

    しかし離島という特殊な条件下でお茶を新たな農業として確立していくには、大きな壁もあるはず。「経営的にもまだまだこれからです」と裕二郎さんは語る。後編では、対馬でお茶を新たな産業にしようと奮闘する裕二郎さんの挑戦や未来について、裕二郎さんのこれまでを振り返りながら話を聞いていこうと思う。

    大石裕二郎|Yujiro Oishi
    高校卒業まで長崎県本土で暮らし、大学進学を機に静岡へ。そのまま静岡で就職し、対馬に帰る前は食品メーカーの営業として働いていた。2017年、対馬へ家族とともにIターン。[つしま大石農園]で働き始める。

    つしま大石農園|Tsushima Oishi Tea Farm
    長崎県の離島、対馬の佐護地区でお茶と柚子を中心に栽培している。2009年、島の9割近くを山林が占める対馬に新しい産業を作ろうと現代表の大石裕二郎さんの父と祖父が、土地を切り拓きお茶栽培を始めた。現在では「べにふうき」の和紅茶を中心に2017年に、裕二郎さんがIターンし対馬に移住、農園の仕事に取り組むようになる。2024年、裕二郎さんが代表に。
    長崎県対馬市上県町佐護南里548
    oishifarm.com
    instagram.com/tsushimaooishinouen

    Photo by Tameki Oshiro
    Text by Rihei Hiraki
    Edit by Yoshiki Tatezaki

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