• 対馬にお茶が根付くために。尽きぬアイデアとバイタリティ
    対馬[つしま大石農園]大石裕二郎さん<後編>

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    離島に新たな農業を。メイドフロム対馬が生むオンリーワンの味わい 長崎[つしま大石農園]大石裕二郎さん<前編>

    海に緑の島が浮かんでいる。空からは、島の9割を山地が占める対馬の姿がよく見えた。 プロペラ機から対馬空港に降り立ち、ひたすら車で北上する間、見慣れたコンビニはひとつもなく、周囲を森に囲まれた道路をただただ進むだけだった。…

    2025.02.21 INTERVIEW茶のつくり手たち

    [つしま大石農園]の二代目、大石裕二郎さんが対馬へ移住したのは2017年のことだった。広島で生まれ、その後は父・孝儀さんの仕事の関係で長崎本土を転々としたという裕二郎さん。大学進学を機に裕二郎さんは長崎を離れ、静岡へ。そして大学卒業後もそのまま静岡で就職し暮らしていたため、両親の故郷・対馬を訪れるのは帰省の時だけ。いわば単なる親の田舎くらいの認識だったようだが、二十歳になるころからは自分自身のルーツとしての意識が芽生えたという。

    「小学生の途中から高校生まで、一番長く暮らしたのは長崎の諫早市だったのですが、なぜか成人式の案内が対馬市から届いたんです。自分の本籍は対馬にあったんだって。知り合いなんて一人もいないし行ってもしょうがないと思って、結局、対馬市の成人式には参加しませんでしたが、それからなんとなく対馬にアイデンティティを感じるようになりました」

    さらに、就職後静岡で出会った人々から受けた刺激が、裕二郎さんに対馬への移住を決断させる大きな決め手になったと振り返る。

    「静岡で働いていた頃は週末にバレーボールをするのが楽しみでした。でも年を重ねるにつれ、怪我も増えてきて、いつまでも同じようにできないなという気持ちがたまっていました。そんな中仕事を通じて地域おこし活動に励んでいる方や地方議員など、『地元をなんとかしたい』と思って活動している人たちに会う機会もあって、そういった人たちに大きな刺激を受けたんですよね。それに食品メーカーの営業として、地元の食品問屋や流通会社と仕事をする中で、都会と地方の格差も感じるようになっていきました。そして徐々に地方って大事だなと思うようになっていって。じゃあ自分の地元はどこか、と考えたらそれは対馬だなと思ったんです」

    そして祖父と父が始めたお茶と柚子の栽培を手伝うため、両親の地元であり、祖父母が暮らす対馬への“孫ターン”を決断した裕二郎さん。移住したタイミングはお子さんがもうすぐ生まれそうだというタイミングではあったが、裕二郎さんに迷いはなかった。

    「会社の先輩に『やってから考える』という人がいて。それを見習ってあれこれ考える前に先に動こうと。自分は父の転勤で子どもの頃から引っ越しに慣れていましたし、妻には苦労をかけてしまいましたが、勢いで対馬に帰ってきました。誰かが対馬に住み続けることにきっと意味があるはずだと思ったんです」

    食品メーカーで働いていた経験を活かして

    農業のことについては父や様々な茶農家さんに教えてもらいながらゼロから学んでいった裕二郎さんだが、同時に食品メーカーで働いた経験を存分に活かし[つしま大石農園]の経営体制を改善させていった。[つしま大石農園]が対馬に新たな農業を根付かせるために生まれた場所であるならば、それが存続可能なものでなければならないと考えたのだ。

    「父たちは朝から夜まで休まず働いていたのですが、自分達の給料はもらってないような状態でした。昔ながらの農家の考え方というか、自分の労働時間を人件費に計算していなくて。そうしたことも踏まえると、そのままの販売価格や作業スキームでは到底見合わないというのがわかってきたんです。そこで自分は食品メーカーに勤めていた時のノウハウを活かして、仕入れ先や配送方法を見直すことで経営コストを改善して経営状況の立て直しを図りました」

    裕二郎さんは作業効率の改善も進めた。2021年には補助金を活用し、空き施設を工場に改装。大型の乾燥機を新たに導入し、これによって作業効率は飛躍的に向上した。自走の茶刈機も導入し、女性スタッフでもお茶刈りができるようになった。

    新たに導入した乾燥機。それまでは左に写っている棚式乾燥機のみだったため、乾燥にかなり時間がかかっていた
    お茶農家を廃業する方から譲り受けたという茶刈り機。だいぶ使い込まれているが、メンテナンスしながら大事に使い続けている

    そして裕二郎さんはパッケージや規格を変えることで様々な商品が生み出せるお茶の特性にも目をつけ、商品展開にも工夫を加えた。

    [つしま大石農園]には「対馬紅茶」という対馬の名を冠した定番商品を筆頭に、対馬の風土や文化を伝える様々な商品がある。例えば、「対馬の名所 彩アソートセット」は、和多都美神社や万松院といった対馬の観光名所をポップにデザインしたパッケージが特徴のティーバッグセット。紅茶以外にもゆずのフレーバーティーや釜炒り茶も含まれており、[つしま大石農園]のお茶を一通り堪能できる人気商品だ。その他にもツシマヤマネコのお茶缶がかわいい「対馬のお茶入り とらやま缶」や、人気イラストレーターのクロニャックさんがイラストを手がけた対馬紅茶シロップなど、「対馬」を押し出しながらもポップで手に取りやすい商品を企画している。

    「対馬の名所 彩アソートセット」。CHAGOCOROの販売ページで購入することができる(上の画像をクリックすると外部サイトに遷移します)
    手摘みや春摘み・夏摘み、リーフやティーバッグと、様々なバリエーションがある対馬紅茶。横展開のしやすさもお茶の魅力だと裕二郎さんは語る。裕二郎さんの奥さんは以前お土産の企画会社で働いていた経験を活かし、商品開発で力を発揮しているという

    こうした努力の甲斐あって「ようやく最近になって利益が出てきました」と裕二郎さんは語る。そして、裕二郎さんは次なる展開として海外への輸出を見据えているというのだ。

    「今年は企画する商品の全て、海外向けを意識したものにしたいと思っています。昨年台湾のバイヤーさんにお茶を100キロ卸したんです。その反応がどうだったか現地調査もしたいと思っているところですが、やはり国内のマーケットがこの先縮小していくことを考えれば、どんどん海外への展開を考えた方がいいと思います。そして対馬の名前を海外に広めていきたいんです。そのためにも海外に我々のお茶をもっと輸出していきたいなと」

    裕二郎さんは、海外向けの商品として開発したばかりの試作品を持ってきてくれた。それは柚子の皮を砂糖漬けにしたものだった。

    「もともと柚子はほぼ果汁のみを売っていたので皮はずっと捨てていました。しかし収穫量が数トンに及ぶ柚子のうち、重量的には皮などの果汁以外の部分が圧倒的に多いんです。それを捨てたままの状態ではもったいなかったので、なんとかしたいと思っていました。そうした時にジェトロの方からこういう砂糖漬けのお菓子が東南アジアで引き合いがあるよと教えてくれて。早速加工会社に相談して、柚子の皮を砂糖漬けにしたお菓子を作ってもらいました」

    茶畑(左)と柚子畑(右)が隣接する、第三の畑。柚子の影響を受けてか、ここでとれる茶葉は他の畑で取れるものとは少し違う、爽やかな味わいになるという

    砂糖の甘さと柚子の爽やかな風味が合わさったその味わいは試作品とは思えない出来栄えでとても美味しかった。

    「私たちの畑は農薬を撒いていないので皮でも安心して食べてもらえるんですけど、海外輸出となるといろいろ規制の問題が出てきて、次はそれをどうしようかなという段階です。やはり、とりあえず動いてみないとわからないんですよね。台湾に輸出する時も、言葉もわかりませんでしたし、初めての苦労ばかりでした。それもやっぱり動いてみないとわかりませんでしたから」

    柚子皮の砂糖漬けと一緒にいただいた、柚子のフレーバーティー「ゆず香」。柚子の香りが対馬紅茶のほのかな甘さとよく合う。こちらもCHAGOCOROの販売ページで購入することができる(上の画像をクリックすると外部サイトに遷移します)

    まずは動いてみる。
    裕二郎さんは対馬へと帰る決断をした時と同じ意志を今も持ち続けている。

    その証左とばかりに、現在裕二郎さんはお茶と柚子以外の事業展開にも挑戦しているという。

    「水耕栽培を始めようと思っています。そのための補助金も既に取って、今栽培施設を作ろうと動いています。また、販売されない古米を使って米粉を作ったりもしています。自分は職人のようなお茶農家ではありませんが、だからこそ一歩引いてこの対馬の環境で何ができるかを考えることができるんだと思います」

    職人ではないからこそ見えるものがある

    尽きぬことのない裕二郎さんのバイタリティとアイデア。その根底にはやはり「対馬を盛り上げたい」という思いがある。

    現在、対馬の人口は約28,000人。ピーク時の1960年の約7万人から急速に人口は減少している。裕二郎さんが移住してからの7年ほどの間にも、対馬の元気が無くなっていく景色を目の当たりにしてきた。過疎化による人口減少と少子高齢化、生活インフラの弱体化、環境問題、財政の圧迫など日本各地で深刻化しているあらゆる課題が集約されている対馬は「日本の縮図」と表現されることもある。

    だからこそ、対馬に新たな産業を根付かせようと懸命に努力している[つしま大石農園]の事業には、大きな意味がある。しかし、それが対馬に根付く農業となるかは、「まだまだ」だという。

    「もし自分が今倒れたらこの農園は続けていけないですから、そういう意味でも自分がいなくなっても続けていけるような産業にしていきたいです。そして産業というのは競争があってこそ。だから対馬でお茶をつくる生産者を増やしていきたいと思っています。そのためにまず個人事業主としてやっている[つしま大石農園]を法人化して、引き継げるような形にしたいと思っています。そしてお茶好きな現場スタッフを十分な給料で雇い、いずれは独立して対馬でお茶を始めてもらえるようになれば茶畑の面積を広げていける。そんなことを今考えています」

    「自分はお茶の道を極めた職人のような人間ではありません」と裕二郎さんは自分のことを語った。でもだからこそ、自分達の農業が対馬という場所にとってどんな意味があるのかを客観的に考えることができ、そのために必要なことを次々と考え実行していける力があるのだろう。対馬にとって今一番必要なのは裕二郎さんのような人なのかもしれない。

    最後に、対馬紅茶をいただいた。優しい花の香りを感じながら、口の中に入れると、まろやかな口当たりでさっぱりと飲める。どんなシーンにも合うであろうその味わいは、多くの人に愛される力がある。

    今年の12月には、昨年開催予定が台風の影響で延期となった日本最大級の和紅茶の祭典「全国地紅茶サミット」が対馬で開催される。離島の対馬にとって全国規模のイベントの開催は貴重なことだ。裕二郎さんは幹事として、この一大イベントの成功にこれからまた奔走するという。

    父と祖父が「対馬に新たな農業を」という思いで始めた[つしま大石農園]が、今息子の裕二郎さんの代に引き継がれ、大きく羽ばたこうとしている。多くの人にこの唯一無二の思いと味を背負った紅茶を味わってもらいたい。そして人々が対馬という場所へ思いをめぐらせるきっかけとなることを願い、[つしま大石農園]を後にした。

    大石裕二郎|Yujiro Oishi
    高校卒業まで長崎県本土で暮らし、大学進学を機に静岡へ。そのまま静岡で就職し、対馬に帰る前は食品メーカーの営業として働いていた。2017年、対馬へ家族とともにIターン。[つしま大石農園]で働き始める。

    つしま大石農園|Tsushima Oishi Tea Farm
    長崎県の離島、対馬の佐護地区でお茶と柚子を中心に栽培している。2009年、島の9割近くを山林が占める対馬に新しい産業を作ろうと現代表の大石裕二郎さんの父と祖父が、土地を切り拓きお茶栽培を始めた。現在では「べにふうき」の和紅茶を中心に2017年に、裕二郎さんがIターンし対馬に移住、農園の仕事に取り組むようになる。2024年、裕二郎さんが代表に。
    長崎県対馬市上県町佐護南里548
    oishifarm.com
    instagram.com/tsushimaooishinouen

    つしま大石農園のお茶販売ページ
    ゆず香 https://teashop.itoen.co.jp/c/CHAGOCORO/tsushima01
    対馬の名所 彩 アソートセット https://teashop.itoen.co.jp/c/CHAGOCORO/tsushima02

    Photo by Tameki Oshiro
    Text by Rihei Hiraki
    Edit by Yoshiki Tatezaki

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