• お茶は人を幸せにできる。世界中で出会ったお茶のアトリエ
    目黒[MATRA]中村文聡さん<前編>

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    東京都目黒区、東急東横線都立大学駅を降り、閑静な住宅街の方へ足を進める。周りに飲食店の姿はほぼ見当たらないものの、教えてもらった住所のところに着くと、そこにはユニークな建築のマンションがあった。この一室に、ティーアトリエ[MATRA]がある。

    インターホンを鳴らし部屋へ案内してもらうと、そこにはまさにティーアトリエの名の如く、アーティストの隠れ家のような、すっきりとして落ち着いた雰囲気の空間が広がっていた。白壁で包まれた部屋には穏やかな音楽が流れている。中央には大きな木のテーブル。さらにステンレスと木製の両方の棚に整理された茶器やグラスが見え、異なる文化が静かに混ざり合う無国籍風の情緒を漂わせている。

    出迎えてくれた店主の中村文聡さんは、元々はお茶の販売会社で長年バイヤーを務めていた人物で、いわば世界中のお茶を味わい尽くした人物だ。[MATRA]では中村さんが厳選した世界中の茶葉を、中村さんと会話しながら味わうことができるコースがいくつか用意されている。

    [MATRA]の店主・中村文聡さん

    「世界のお茶と出会う」をテーマとしたフルコースでは、3時間たっぷりと時間をかけて6〜7種類のお茶とそれと合わせたお茶請けを楽しめる。さまざまな味わいのお茶を通じて、それらが生まれた世界各地を旅しているかのような体験になる。そのほかにも、お茶を3種類に絞ったショートコースや、その場でお茶を購入したいという方にオススメの試飲コースなどもあるため、それぞれの目的や希望に応じて、世界中のお茶との出会いを体験できる。

    「matra blend no.1」
    MATRAオンラインショップでも購入可能

    「まずは、MATRAのオリジナルブレンドをどうぞ」

    そう言って中村さんが最初に出してくれたのは、オリジナルブレンド「matra blend no.1」の氷出し。口に含むと、フルーティーな味わいと、優雅な花の香りが溶け合い、すっと体に染み込んでいく。まるで二つの世界が融合したかのような、奥行きのある味わいに思わず息をのむ。

    「こちらはダージリンティーをベースにし、アクセントとしてジャスミン茶をブレンドしたオリジナルティーです。現地の農園が緑茶の製法を参考につくった、春摘みの特別なダージリンなので、水色も緑っぽいのです。ダージリンはインド紅茶の産地の中で唯一、中国由来の品種(カメリア・シネンシス)を伝統的に育てているため、緑茶の製法との相性がいいんですよ。クラフトマンシップが息づくダージリンは、ワインのように農園ごとで茶葉を買付するんです。その中で品質のいいロットと中国の最高級ジャスミン茶を合わせたら美味しいものができるのでは、という思いから開発しました」

    ダージリンティーとジャスミン茶。インドと中国という二大産地の優れたお茶を掛け合わせたまさに夢のコラボというわけだが、その味わいを生み出すのは、中村さんの深い造詣があってこそ。お茶を知り尽くした者だけが生み出せる絶妙なバランスが、この一杯には詰まっていると感じた。

    良い茶葉があれば、誰でも気軽にお茶で感動できる

    そんな中村さんが前職を辞め、[MATRA]をオープンしたのは2022年。それまでは10年以上にわたり、お茶のバイヤーとして世界を飛び回る日々を送っていた。しかし、お茶の業界に飛び込んだのは全くの偶然だったと言う。

    「実は、大学生の頃は法学部で弁護士を目指していました。でも勉強を続けていくうちに、どうも自分の情熱が向かなくなってしまって。仕事にするなら絶対に自分の情熱を傾けられるものにしたいと思いながらも、これといったものを見つけられず、大学を卒業してからは2年ほどフリーターをしていたんです。でもある日、コンビニで求人情報誌を読んでいたら『400種類以上のお茶を取り扱っています』という文字が目に飛び込んできました。それが独立前に勤めていた会社です。その文字を目にした時、なぜか世界が広がったんですよ。お茶は日常を区切る力がある、人を幸せにする素材だ、と。それまでお茶を特別意識したことはなかったのに、なぜか感動しちゃったんですよね。これだ!と思って、そのお茶屋さんで販売員として働き始めたのがスタートです」

    お茶屋での仕事を通じて、中村さんはお茶の世界の奥深さに魅了されていった。国や地域ごとに異なる気候や土壌、製法が生み出す多様な味わい。その背景には、文化や歴史、地理的特徴、そして生産者の哲学が息づいている。販売員時代、特に感銘を受けたお茶として、中村さんはダージリンの紅茶を挙げた。

    「ダージリンのファーストフラッシュを飲んだ時、香水みたいに鼻腔をくるくると回っていくほどの鮮烈な香りを感じました。香り高いお茶と形容されるものは、それまでも仕事を通じていろいろ飲んで知っていたつもりでしたけど、それはあまりに衝撃的な体験でした。お茶でこんな香りが出るのかと、お茶の表現の幅の広さを知れたのは自分にとって大きなポイントになりましたね」

    様々な地域でバイヤーという立場でお茶のテイスティングを重ねていくにつれて、中村さんの胸中にある思いが湧き上がっていったという。

    「テイスティングというのは、だいたい茶葉2gにお湯を5分入れて抽出するという非常にフラットなやり方で行います。シンプルにお湯を入れるだけなのですが、本当に美味しいお茶はそれだけでとても美味しいんです。だから、いろいろと自分が工夫したり、凝った茶器を使ったりしなくても、良い茶葉という原料さえあれば簡単に感動的な味わいを楽しむことができる。それはきっとお茶の間口を広げてくれると思い、そのことを多くの人に知ってほしいと、MATRAを立ち上げました」

    [MATRA]では、インドの理化学用ガラスメーカー BOROSILのグラスを愛用している。取手がついたヴィジブルマグに茶葉とお湯を一緒に入れ、残りが半分になったらお湯を継ぎ足していく、というシンプルスタイル

    シンプルな淹れ方でも、本当に良いお茶はその本領を発揮する。中村さんのその思いは、[MATRA]が提唱する「グラスティー」という飲み方に集約されているといえる。ビーカーのようなグラスにひとつまみの茶葉を入れて熱湯で1分抽出する。それだけでお茶は美味しく飲める。お茶を飲もうと思った時に無意識に感じる「美味しく淹れなきゃ」という心のハードルを優しく下げてくれる。「ティーアトリエ」という響きにやや敷居の高い印象を抱くかもしれないが、実際には誰もがお茶を気軽に楽しめる、そして感動してもらうということを目指しているのだ。実際、世界中にある形も色も異なる茶葉が、透明なグラスの中でゆっくりと解けていく様子を眺める時間は、それぞれの産地に思いを馳せる時間に繋がる。

    「お茶というフィルターを通して、世界を見るととても面白いんですよ」

    お茶の面白さを中村さんはそう表現した。おそらく、ふと求人情報を見つけた時に感じたお茶の輝きは、中村さんの中で今もきらきらしているのだろう。どのお茶も愛でるように紹介する中村さんの姿が、そう感じさせる。こちらももっとお茶を通じて、中村さんが見てきた世界を見たくなる。

    後編では、この日のために厳選した緑茶のコースをいただきながら、さらなるお茶の世界の奥深さを堪能してみようと思う。

    中村文聡|Fumitoshi Nakamura
    静岡県出身。大学卒業後、お茶の世界に魅了されルピシアに入社。10年以上にわたり同社のバイヤーを務め、世界各国のお茶を知る。2022年に独立、目黒区碑文谷にティーアトリエ[MATRA]を構える。

    MATRA
    東京都目黒区碑文谷3-16-22-101
    10:00〜20:00、不定休
    要予約
    03-6555-0013
    matra.jp
    IG @matra_tea

    Photo by Yu Inohara
    Text by Rihei Hiraki
    Edit by Yoshiki Tatezaki

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