吉本ばなな連載『和みの想い出』第1回
2020.02.14 COLUMN
時の流れってなんて切なく美しいんだろう、といつも思うのだ。
そのとき、私たちは台北のいちばん古い茶藝館にいた。軍隊の幹部が持っていた邸宅を改装して茶藝館にしたところで、とにかくむだに広い。
奥には大広間みたいなお座敷があり、いくら長居しても怒られることはない。
そのとき小さな子どもだった私の息子と、今では2児の母になったがそのときはまだ独身だった台湾在住の女友だちと、とても仲がよかったけれど今では疎遠になってしまった女友だちと、4人でだらだらとお茶を飲んでいた。
子どもが大人になりつつある今、心から思う。
女子旅に混じっておしゃべりしていた小さなあの男の子はもういない。疎遠になった友だちとて、今同じことをしてもギクシャクするだけだろう。2児の母はなかなかゆっくり茶藝館に行けないどころか、コロナ問題で台湾にさえなかなか帰れない。
あのメンバーがあの形で集うことは二度とないのだ。そう思うと、旅の終わりを惜しみながらだらだらとあの場所でおしゃべりしていたことがとても愛おしく、そのときはちっとも貴重に思っていなかったのにすごく貴重なものに思える。
当時台北に住みはじめたばかりの現2児の母は言った。
「まだ言葉もあんまりしゃべれないし、明日みなさんが帰っちゃうし、もうすでに淋しい気持ちなんです。この淋しさをどうしたらいいんでしょう?しかたないことなんですか?」
その頃ちょうど別の友人から「もう空港で別れるのがいやだ」という理由で遠距離恋愛を終えた話を聞いたばかりだったから、私にはなにも言えなかった。
「空港でえいっと別れちゃって、帰る道でほんの少しだけ元気になるじゃない? それをくりかえしていくしかないよ。いちばんつらいのはあの一瞬だけだから」
あまり役立たないアドバイスだった。
それぞれが高山茶とか白茶とか長年寝かせたプーアール茶を選んで、小さい茶碗で何回も何回もおかわりをする。たまにそれぞれのお茶を交換したりする。そばにはたっぷりのお湯が小さな電熱器にかけられてふつふつとずっと沸いている。お茶請けは干した梅(烏龍茶につけてある)や、かぼちゃの種や、ひまわりの種や、松の実や、そんな素朴なものばかり。
ちょうど私がトイレから戻ったとき、部屋の奥の方からすごいおじいさんが出てきた。細くて小さくて、渋い色の着物を着ていた。頭ははげていて、長く白いひげを伸ばしている。そしてなぜかにっこりと微笑んでいた。
息子の写真を撮るふりをして彼を写しこんだ。
翌日、空港でみんなと別れてからその写真を送り「さすがいちばん古い茶藝館、お茶の神様がいた!」と書き添えたら、全員から「げらげら笑いながら写真を観た」という連絡が来た。おかげさまで旅の終わりを淋しく思うあの時間がちょっとだけ明るくなった。
そんな粋なことをしてくれるなんて、やっぱりあのおじいさんはお茶の神様だったのかもしれない。
吉本ばなな
1964年東京都出身。1987年『キッチン』で海燕新人文学賞を受賞し作家デビューを果たすと、以後数々のヒット作を発表。諸作品は海外30数ヶ国以上で翻訳、出版されており、国内に留まらず海外からも高い人気を集めている。近著に『切なくそして幸せな、タピオカの夢』『吹上奇譚 第二話 どんぶり』など。noteにて配信中のメルマガ「どくだみちゃんとふしばな」をまとめた文庫本も発売中。
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