吉本ばなな連載『和みの想い出』第1回
2020.02.14 COLUMN
どうして日本にこの考えがないんだろう、あるいは広まらないんだろうと思うことがある。
台湾でタピオカだのフルーツティーの店に行くと、様々なバリエーションのタピオカだとかチーズクリームだとか中国茶ミルクティーだとかレモンがみっちり入ってるだとかナタデココだとか、に混じって、必ずあるのがちゃんとした茶葉をパックに入れて濃いめに出した薄い色の冷たい中国茶のポット売りである。プラスチックのポットに蓋がついて、1ℓくらいあって、家に持って帰って冷蔵庫に入れてもいい大きさなのだ。
これがあってよかったと思ったことがあまりにも多すぎて、いつでもほしいのに日本にはなかなかない。日本だからもちろん冷たい日本茶でもいいんだけれど。
このエッセイにたびたび登場する近所の日本茶喫茶には、冷たい番茶がある。ほうじ茶の番茶ではなく、緑茶の番茶だ。冷たい玉露や煎茶ももちろんあるんだけれど、私がいちばんおいしいと思うのはそれだ。玉露や煎茶は空腹のときに飲むとがつんと胃に来ることがあるが、番茶ならいつでも安心して飲める。お茶うけもついてポットいっぱいに入ってきて、3杯くらい飲めるのですごくありがたい。
暑い夏にスーパーから重い荷物を持ってふらふらと帰ってくるとき、そこに立ち寄って冷たい番茶をごくごくと飲むと、生き返った感じがする。自分の血の中に「日本茶=ほっとする」が入っていることがよくわかる。
歩き疲れた自分が欲しているのは、砂糖が入っていない、苦味のある、冷たい飲みものなのだということが腹の底からわかる感じがする。
飲み終わるころには歩き回った足の疲れもすっかり癒えて、さあ、荷物を持って出発するぞという気持ちがよみがえっている。
江戸時代の茶屋ってこんな感じだったのかもしれないな、と想像する。
歩いている距離が比べものにならないくらい短いのに、当時の人たちと気持ちだけは共有できるような気がする。
仕事で頻繁に台湾に行くようになったら、中国茶の思い出がどんどん分厚くなる。
遠くに霞む山々を眺めながら何回もお代わりして飲んだ山の上のカフェの思い出や、傘がおちょこになりながらも強風の中タピオカ屋にいっしょに行って、前述の冷たい中国茶を買ってくれた出版社の青年の笑顔や、茶藝館でみんなでお茶うけを分け合ったことや。
そして旅の終わりに、空港のゲート内のショップでちょっと切ない気持ちで試飲する冷めた凍頂烏龍茶の苦さ。さっきまでいっしょにいた人たち、手をつなげるほど近くにいて、声を聞いていた人たちはもう出国検査場の向こう側の世界に戻っていった。自分はこれから日本に帰っていく、その夢の終わりのはざまの味。その味はほろ苦く強く心に残っている。
吉本ばなな
1964年東京都出身。1987年『キッチン』で海燕新人文学賞を受賞し作家デビューを果たすと、以後数々のヒット作を発表。諸作品は海外30数ヶ国以上で翻訳、出版されており、国内に留まらず海外からも高い人気を集めている。近著に『吹上奇譚 第二話 どんぶり』『吹上奇譚 第三話 ざしきわらし』がある。noteにて配信中のメルマガ「どくだみちゃんとふしばな」をまとめた文庫本も発売中。
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