吉本ばなな連載 『和みの想い出』 第7回
2020.08.14 COLUMN
お茶専門のカフェで働いていたことがある。
玉露と煎茶、プーアールと烏龍とジャスミン、ミントとカモミールのハーブティーもあった。
どうしてもというお客様のためにコーヒーもお出ししていた。しかし経営側がエスプレッソ用のポットを間違えて買ってしまったので、厨房でドリップしたコーヒーをたっぷりとエスプレッソポットに注いでお出しするという謎の形式となった。
その他にも今になると「これはきっと知識がないまま見切り発車してしまったのだな」と思えることがたくさんあり、運営する人たちがまだ若くお茶に関して初めてのことが多かったことが愛おしく思える。
近年では一般の人たちもお茶に詳しくなっており、いろいろな種類のお茶に慣れ親しんでいる。当時は中国茶やハーブティーを出すところさえ珍しくて、かなり先駆的なお店だったのだ。
お茶の葉を入れ適温のお湯を注ぎ、温めた小さなお茶碗を添えてお客さまにお茶をお出しするのだが、お湯の差し替えは何回でも自由だった。
不思議なことに慣れてきたらどのテーブルで差し替えの用命が来るのかが、わかるようになってきた。
あうんのタイミングで進むお茶空間を、お客さま含めそこにいたみんなが作っていた気がする。
そしてなによりも、神秘的な話でもなんでもなく、お茶そのものが呼ぶのだ。そろそろ乾いてきたよ、濃く出すぎたよ、みたいな感じで。
そのカフェにはたまにものすごく強面のお客さまが来た。
どう考えてもお仕事はかたぎじゃないよなあ、みたいな方が。
その方がそっとお茶を小さな茶碗に注ぎ、この一杯が全ての安らぎみたいな感じにおいしそうにお茶を飲む様を見ると、この人はきっと育ちのいい人なんだろうなあ、でもなにかがあってその道に入り、一生そこで生きていくんだろうなあ、今このひとときにお茶がなにもかも忘れさせてくれることが効用であれば、このように茶の色と味の中に真の安らぎを見出すことが私のこの人生に果たしてあるのだろうかと。
そして彼は決して差し替えのタイミングを外さなかった。お茶がおいしく飲める状態を大切にしていた。
強面の人の場合のえらくなるというのがなにを指すのかよくわからないが、そのように人の上に立つ人は、そういうことこそを外さないんだということが、多くのお客さんを壁の一部となって静かにじっと観察していたらわかってきた。
お店の人に対する態度に全てが出ることも。
上からものを言う人にお店の人はサービスの内容を変える。わざと意地悪するのではなく、変なことを申しつけられるのでタイミングがずれて自然にそうなってしまうのだ。そして表面的にはなにも違わないけれど、もてなす側の心が違う。
大好きなお客さんが来るとお店の人は嬉しくて、心を込めてお茶をいれるのでお茶もベストの状態になる、そういうことだ。
後からえらくなった人は、くまなく「ありがとう」「ごちそうさま」が言える人ばかりだった。
吉本ばなな
1964年東京都出身。1987年『キッチン』で海燕新人文学賞を受賞し作家デビューを果たすと、以後数々のヒット作を発表。諸作品は海外30数ヶ国で翻訳、出版されており、国内に留まらず海外からも高い人気を集めている。近著に『切なくそして幸せな、タピオカの夢』『吹上奇譚 第二話 どんぶり』など。noteにて配信中のメルマガ「どくだみちゃんとふしばな」をまとめた単行本も発売中。
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