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旭川発[USAGIYA] 吉川昌秀さんの 茶の課題解決型思考 <後編>
北海道旭川発の日本茶ブランド[USAGIYA]。前編では、代表の吉川昌秀さんが家業のお茶問屋を引き継ぎ、若手デザイナーと手を携えながら新たなブランドを構築していった経緯を聞いた。新しい形状のティーバッグの話からサブスクの…
2021.04.02 INTERVIEW日本茶、再発見
東京・原宿駅は昨年大規模な改修を終え、大正時代に建てられた尖塔つきの旧駅舎は意匠を引き継ぎながら新駅舎の横に立て替えられた。付近にも新たな商業施設の開業が相次いだ。そのなかの一つ、食をテーマにした「JINGUMAE COMICHI(ジングウマエ コミチ)」には、星付きフレンチの新店や世界各国・全国各地のグルメがひしめき合っている。
その1階に一軒のお茶スタンドが入っている。モノトーンを基調とした内装に映える色とりどりのパッケージ。視覚要素に統一感があり、パッと見た印象ではお茶屋というよりコスメブランドに近い。日本茶をベースにしながらもコーヒースタンドのようなメニュー。そして、専用のボトルを利用して何度でもお茶をリフィルできるサブスクリプション形式の「ティーボトリング」というサービスも話題になっている。
洗練されたデザイン、サブスクという時代にいち早く対応したサービスを展開している[USAGIYA]とは一体どんなお茶屋なのか? 調べてみると本店は北海道の旭川。またしても北海道で面白いお茶カルチャーと出合えそうだ。快く取材を受け入れてくれた[USAGIYA]の代表・吉川昌秀さんにお話を伺った。
吉川昌秀さんは、祖父・正夫さんが旭川で創業した茶問屋[吉川園]の3代目にあたる。したがって[USAGIYA]は[吉川園]の新しいブランドなのかと思っていたのだが、吉川さんは現在に至るまでの経緯を教えてくれた。
戦後、祖父の代では旭川から道北エリアを中心に販路を拡大、父の代では同業者との競争に苦戦しながらも西武旭川店への小売店出店など市内での販売を堅持してきたという。しかし、バブル崩壊後の不況により小売・卸売ともに業績が悪化。当時、東京にある上場の建築会社で働きながらも、同じく不況の影響を受け将来に不安を感じていた吉川さんは帰旭を決心。
「4人兄弟の次男なのですが、誰も家業を継いでいないこともあって、『帰るわ』って連絡したのですが、業績も悪かったんでしょうね、『あんまり帰ってほしくはない』という反応でしたね。『でも決めたから』って」
2004年に旭川に戻り、静岡での製茶の研修等を経て、改めて[吉川園]の状況を見ると、その厳しさに驚きを隠せなかったという。
「父は『もうダメだ』って言っているような状況で、『いやでもダメって言う前にやることあるんじゃない?』と私は順々に事業の整理を進めていって。結局、前の会社で『リストラ厳しいなぁ』と思っていた自分が家業に戻ってやっていたのが店舗閉鎖ですからね。キツいなぁってね。でもその中で、お茶っていうのを時間かけて見させてもらったのはよかったと思いますよ。お茶の良さっていうのを自分なりに発見したというか。これだったらやりがいあるなぁと感じましたね」
あらゆる手を尽くしてなんとか10年、家業を維持することができたが、2014年いよいよ継続が難しくなり、吉川さんは株式会社兎屋を設立、[吉川園]の事業を買い取る形で新たなスタートを切った。
そして2015年にオープンしたのがこの[USAGIYA 旭川本店]だ。事務所だった建物を改築、限られた資金の中で一部は自分たちで仕上げたところもあったという。
「[吉川園]創業当初は製造と卸しが中心でしたが、創業35年くらいからは小売にシフトしました。[USAGIYA]として事業を引き継いでからも、『日本茶』を扱い続けることは変わりませんが、事業領域は世の中の変化と自社の課題に対応して変化しています」
日本茶の小売店としての課題、茶産地ではない北海道旭川発の日本茶専門店としての存在価値、国内における日本茶の需要減など、様々な課題に対して何をするべきか、何ができるか、を問い続けながら事業を展開していると語る吉川さん。
次に聞きたかったのは[USAGIYA]ブランドの洗練されたビジュアル・アイデンティティについて。コスメブランドにも見劣りしないデザインセンスだが、設立経緯を聞くに潤沢な宣伝予算があるわけではなさそう。
「2014年に会社を立ち上げたときにデザイナーさんを探して、たまたまご紹介いただいたのが村田一樹さんでした。当時25歳で、ちょうど2014年に札幌のデザイン会社から独立したという。彼が、まぁ素晴らしかったんですよね。デザインに対する考え方も私と近かった。デザインというと表層的な見た目の話に終わってしまうことが多い気がするんです。でも本来、デザインって設計だと考えていて、つまり見た目と使い心地が一致しているといいデザインですよねというイメージ。建築の勉強をしていたりしたので、僕の感覚はそうでした」
感覚を共有できる優れたデザイナーとの出会い。しかし、デザイナーを雇うにも先立つものは必要なはず。
「デザイナーさんにお金をかけるって本当難しいんですよね。父の時も見ていましたが、小さい会社は構造上やっぱり大変。ただ、僕は村田くんを信じているんで、『仕事があろうとなかろうと毎月この金額を払います』ってオファーしたんです。もちろん、はみ出るものは追加で見積もりをもらって判断していく。ありがちなのが、何十万円かけてホームページ作りました、でもその後世の中も会社の状況もやろうとすることも変わるじゃないですか。すると、どこかを変えたいってなったときにお金を捻出できなくなっちゃうことが多いんですよね。それで自分たちでいじったりすると、もともとは意味のあったデザインが、いつの間にかチープなものに成り下がっちゃう。それだったら最初にお金をかけないほうがいいと、どうであれ関わってもらいたいという体制にしたかったので、そういうオファーをしたんです。若いデザイナーさんも安心して仕事ができることになるし、とにかく僕たちも一緒に成長していきたいって」
なかなか胸が熱くなるお話だ。この定額でのパートナーシップは理に適った考え方とも言える。実際にデザインやコンセプトの軌道修正は日常茶飯事、必要なものも増えてくる。常に手を握りあうことで、デザイナーからも改善点が上がってきて即対応できたり、先を予測した設計がやりやすくなる。
「村田くんはデザイナーさんの中でも不要なものを省いて本当に必要なものを際立たせるのが得意な人だと私には見えていて。小さな会社って、売上のためにどうしてもあっちこっちに手をつけてしまう。すると力が分散してしまって、もっと商品力があったり、しっかり営業できる体制が整ってるところに勝てないんですよね。僕が継ぐことになって、どこに力を入れようかってなると、なかなか落ち込んできていた小売りだけっていうわけにもいかない。やっぱり圧倒的に、“日常的に飲んでない”、“飲む習慣自体がなくなってきちゃっている”ということがあった」
本質を大事にして何を解決すべきかを問う姿勢はデザインにおいても、経営においても重要なのだと感じる。
「で、どうやってお茶を広めていこうかなって思ったときに、[吉川園]時代からすでにあったんですけど、取引先の一つに、ティーバッグの素材を変えた人がいるんですよ」
またしても興味を引くトピックが飛び出してきた。このお話の続きは後編で。「サブスクリプション」についてもその背景を教えてもらう。
吉川昌秀|Masahide Yoshikawa
1974年生まれ、北海道旭川市出身。祖父の代から地元で続いていた茶問屋[吉川園]を引き継いで、2014年に株式会社兎屋を設立。小規模での製造・卸し売りを引き続き行ないつつ、2015年にカフェ併設の小売店[USAGIYA]の1号店を旭川にオープン。現在、江別蔦屋書店、札幌パセオの他、東京原宿に店舗を持つ。定額制のボトリングサービスは直営店の他にも、パートナースタンドと呼ぶショップやシェアオフィス、ジムなどでも利用可能となっている。
usagiya-tea.jp
instagram.com/usagiyaofficial
Photo: Takuya Kakimoto
Text: Yoshiki Tatezaki
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