• 萎凋と醗酵で狭山茶の未来を拓く
    [備前屋]清水敬一郎さん <前編>

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    徐々に秋の気配が濃くなってきた感のある今日この頃。夏が過ぎ、風あざみ……井上陽水の『少年時代』が似合う季節。ふとそんなことを思って調べてみると、この名曲がリリースされたのは21年前の9月21日だそうだ。あながち間違ってはいなかった。ちなみに、印象的な歌い出しの「風あざみ」という言葉は実は井上陽水さんによる造語。音としては知っているようでも、改めて考えてみると意味はよく知らない言葉。

    今回のテーマである「萎凋」は、お茶の世界における「知っているようで知らない」言葉のひとつかもしれない。

    お茶のイチョウを知る

    しおれる」に「しぼむ」と書いて萎凋いちょう。胃腸、銀杏、移調、伊調……同音意義語が多いのだが、くだんの萎凋はお茶以外ではほぼ耳にすることがない。音はなんとなく知っているような気がするが、萎凋とは一体どんな意味なのか?

    埼玉県の茶産地・狭山の隣街、日高市の製茶問屋[備前屋]の清水敬一郎さんに話を聞いた。[備前屋]は150年以上つづく狭山茶専門問屋でありながら、現在は萎凋や醗酵を軸にしたお茶づくりに取り組み「萎凋香専門店」を掲げる珍しいお茶屋だ。

    [備前屋]の代表取締役・清水敬一郎さん。先代からの萎凋への情熱をさらに進化させ、今までの日本茶とは一線を画すべき狭山茶の可能性を追究する

    「萎凋というのは、お茶が摘まれた瞬間から始まるんです」と話す清水さん。植木鉢で栽培している花や草でも同じだが、摘んでしまえば花や葉は次第にしおれ、しぼんでいく。茶の葉の場合には、その萎れる過程で華やかな香りが発揚する。茶業界では長年、この「萎凋香いちょうか」はいわゆるオフフレーバー(欠点)として捉えられてきた経緯がある。

    「萎凋が欠点として見られるようになった大きい理由は、おそらく“蒸れ”のせいだと思っています。昔は今と違って生産設備が貧弱でしたので、加工するより摘む方が速かったわけですよね。そうすると、摘まれて製茶待ちの生葉がどんどん溜まっていくわけですよ。今は生葉コンテナという、萎れさせないようなボックスがあって、いくらでも入れておけますけど、昔は山にして積んでいたそうです。それでも蒸れないように撹拌しながら製茶の順番を待っていた具合だったんですけど、2日目でもまだ製茶されないということになると当然、いくら攪拌していても『蒸れ香』がつきます。つまり、『萎凋香』はそうした『蒸れ香』として捉えられてきたのではないかと思うのです。私たちがやっている萎凋というのは、蒸れることのないように、工程として確立させているもの。嫌な蒸れ香をつけませんので、“本当の萎凋香”を味わっていただくことができます」

    生葉から製茶へのプロセスがスムーズにいかなかった副産物としての文脈で捉えると萎凋は欠点ということになるが、香りを意図的に引き出すテクニックとしての文脈で捉えると、それは日本茶の新たな可能性と考えることができる。

    「狭山には『さやまみどり』というすごく古い品種があるんですね。1953(昭和28)年、茶の農林品種認定が始まったその年に、農林5号として登録された品種なんですけど、実はこのお茶がですね、意図したのか偶然なのかわからないのですが、萎凋香の能力がすごく高かったんです。うちの先代は『さやまみどり』が大好きだったんですね。『なんでこのお茶こんなに美味しいのかな?』って言ったときに、同業者の方が『備前屋さん、それは萎凋香っていう香りですよ』って教えてくれた。そこから萎凋香に目覚めたという話です。狭山は(収穫が)遅い産地なので、静岡などのように『新鮮香しんせんか』という、お茶で一番良いとされる香りで勝負するのには少し不利だということもあり、狭山はこの萎凋香をやるべきだということで取引先の生産家の方々にも協力していただきながら萎凋を奨励してきたんです。」

    萎凋に適した「さやまみどり」とそこから派生した様々な品種が存在する狭山地域において、「萎凋香があるね」と言えば、「これいいね、仕入れてみたら?」という意味と受け取れるのだそう。[備前屋]では、入間市と狭山市、日高市の生産農家それぞれの環境に応じた方法で萎凋をやってもらっている。天日干しするところもあれば、他の生産家では地下風槽といって、通気用のトンネルを掘った上に畝のように長く生葉を広げる方法をとるところもあるという。[備前屋]の工場脇でも萎凋や醗酵も行う。清水さんの母方は狭山茶の生産農家出身なので、幼少の頃から手摘みやってきている。新茶の時期は、畑にも出て、工場を稼働し、仕入れを行い、清水さんの多忙ぶりは推して知るべしである。

    萎凋香のため、こだわる火入れ

    [備前屋]での萎凋の作業は新茶時期、摘採後すぐに行われる。そのためこの日に萎凋の様子を見学することはできなかったが、萎凋香専門店としてのこだわりは仕上げの工程にもあるとのことで、工場を見せていただいた。

    天井の高い空間は少し体育館のよう。建物内には大型の透気乾燥機や種々の選別機械がならんでいる。(お茶の仕上げ工程について詳しく知りたい方は、「Ocha SURU? Lab. お茶の仕上げ編」もあわせてご覧ください)

    右側に備わったガスバーナーと可変式の給気孔が備わっており火加減の調整がしやすい。設定時間で板が開き、茶葉が上の段から下の段へと落ちていきながら熱が加えられる

    仕上げの火入れにおいて、[備前屋]ならではのこだわりが表れているのがこちらの機械。伊達式乾燥機と書かれているが、伊達というメーカーはすでになくなっていて、今や貴重な一台なのだそう。

    特徴は、風をできるだけ抑えながら熱を与えることができる点。

    「なぜこの機械が好きかって言うと、風力の調整が容易で、風をほとんど送らないで済むようにできるんですね。特に萎凋香のお茶の場合は、風で煽ってやると、商品になったときの萎凋香の持ち具合が違うような気がするんです。これは、直火(ちょっか)に近い火入れができるんです。萎凋香のお茶を扱っている関係で、火入れに関して、多分普通のお茶屋さんのやり方と目指すところが違うんです。なので、これも古い機械をわざわざ探してもらいましたが、かなりいろんな火入れ機、揃っています」

    「これは『米澤式製茶火入機』って書いてありますが、川越のメーカーなんですね。ですから埼玉以外ではほぼ見ない機械だと思います。中を見ていただくと、ブラシが二つあるだけというシンプルこの上ない機械です。下には、本来ガスの配管があったのですが、それを取っ払って、炭火で火入れができるように改造しました」

    同じ火入れ(熱による乾燥)をするために、これだけ色々な機械が登場するのは面白い。しかも、最新鋭のものというのはなく、古い機械をあえて探してきたり、カスタムしたりと、製茶問屋の哲学が表れるという言葉にも納得。

    この日、伊達式で火入れをしてくださった茶葉をテイスティングさせていただくことに。

    テイスティングルームに戻って、まずは清水さんが一杯味見を。工場責任者が火入れしたものを必ず清水さんがテイスティングして、仕上がりを確かめる。取材時もそのルーティンは同じだった。

    清水さんのOKが出たところで、荒茶と仕上げ後のお茶を同時に飲み比べさせていただく。

    火入れをされたお茶(写真手前)の方が、より洗練された味という印象で、すーっと飲みやすくなったように感じる。火入れとともに、粉や茎などのいわゆる出物を選別したことで茶殻も綺麗で、お茶の方も透き通って見える。

    「おわかりになりますでしょう? こういうことで、火入れっていうのは絶対必要なんだなと思いますよね。もちろん火入れしないと、傷みが早いっていう保質の問題もありますけれども、やっぱり私らみたいに問屋業をやっていますと、この火入れというのが一番大事な仕事の一つだというのは、こうやって飲み比べてもらうとわかるかなと思います」

    [備前屋]では萎凋香を扱うこともあり、極端に強い火入れはしないのだそう。ただ、火入れをしてあげることによって、花開く香りがあり、その香りを引き立たせることが肝になるのだそう。萎凋の香りは、普通のお茶の香りとは明らかに異なり、何かの花か果物で香りを付けたのではと思うほどの華やかな香り。

    「お茶の香りっていうのは、大体口に含んだときよりも、飲み終わってそのあとの口の中の余韻で感じると思うんですけど、萎凋香があると、余韻が非常に長いんですよね。しかも、私らは花のような香りとかフルーティーなんて表現をするんですけど、萎凋をやることによって、生まれた香りっていうのが、ここで出てくるんですよ。それなので、一度これに気づいてしまうと、これがないとちょっとつまんなくなっちゃうんですよね」

    萎凋は生葉を放っておけば起こる反応、と思っていたわけではないが、清水さんのこだわりを目の当たりにすると想像以上に深い世界だと感じる。日本における萎凋香、そして世界のお茶づくりへの扉を開かせる魅惑の萎凋について、お話は後編につづきます。

    清水敬一郎|Keiichiro Shimizu
    明治元年創業、狭山茶専門の製茶問屋[備前屋]の代表取締役。昭和40年代から、先代が萎凋香煎茶の製造・販売に取り組み始め、現在では「萎凋香専門店」として日本茶の新たな可能性として萎凋香を追究している。2011年からは、台湾のお茶づくりに学び、微醗酵茶の製造を手がける。
    bizenya-cha.com

    Photo: Taro Oota
    Text: Yoshiki Tatezaki

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    2021.09.17 INTERVIEW茶のつくり手たち

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