• 朝は来て、夜は明ける。
    お茶と人と、生きるということ 前田美沙さん<後編>

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    朝は来て、夜は明ける。 お茶と人と、 生きるということ 前田美沙さん<前編>

    農薬や化学肥料にほとんど頼らず、草むしりや整枝作業、お茶摘みまで手作業で行われる「中井侍銘茶」は浅蒸しの銘茶として知られる。村に住む11軒ほどの茶農家の平均年齢は80歳以上。今日お話を伺うのは、高齢化が進むこの地で、中井侍銘茶の生産・製茶・販売を行う、前田美沙さんだ。数年前、縁もゆかりもないこの地に移り住み、今は[ヨアケ茶園」という屋号を掲げて中井侍のお茶づくりの担い手となっている。
    なぜ、この地を選んだのか。この土地の人々がお茶を育てる理由、それを受け継ぐ理由、そして[ヨアケ茶園]という自らの屋号に込められた想いを聞いた。

    2021.09.22 INTERVIEW茶のつくり手たち

    長野県の南端、下伊那郡天龍村の山奥にある中井侍では、その地に住まう農家それぞれの庭が茶畑という具合に、小さいながらも丁寧なお茶づくりが残っている。そうした自然に溶け合うようなお茶づくりの営みを支えるのが、[ヨアケ茶園]の前田美沙さんだ。地域おこし協力隊として偶然出会った中井侍のお茶づくりに魅了され、その営みの今とこれからを静かに見つめ、寄り添っている。大平さん宅でお茶をいただいた前編に引き続き、後編では茶工場を見学させてもらいながら、前田さんが思い描く、これからの生き方を探っていく。

    お茶とともに山に住まわせてもらっている

    一年の内、春先の20日間ほど、新茶の季節にだけしか稼働しないという中井侍の製茶工場は、前田さんにとってすっかり特別な場所になっている。案内してもらうと、工場の眼前には濛々と立ち込める霧の中、天竜川が音を立てて流れ、左右には荘厳な山々がそびえ立つという、絶景が広がっていた。

    この絶景を見下ろす工場の長が、前田さんの師匠、“やっさ”こと森下安男さんだ。工場で使われる機械はもともと他の工場から譲り受けたものだったが、中井侍銘茶の超浅蒸し茶を製茶するのに適した形に安男さんが全て改良したものだという。機械全体に熱伝導率の高いチタンを塗り、蒸すパーツには真鍮で塗装を施してあることで浅く蒸しても、熱が均一に伝わるような仕組みになっている。前田さんいわく、安男さんはこれを単なる熱エネルギーではなく“波動”と表現するのだそう。

    35キロという最小レベルの荒茶製造ラインから、木製の選別機など仕上げの機械までコンパクトに収まっている
    工場の中、お茶を淹れるために設えられた台所の窓から見下ろす光景は、工場を使うお茶農家さんのみぞ知る贅沢な眺め。神様の話を聞きながらここに立つと、夢心地さえしてくる

    取材の日、安男さんにお会いすることは叶わなかったが、安男さんの畑を見学させていただくことができた。前田さんが管理する畑の中で一番綺麗だと話す“やっさの畑”。2018年に入村して始めたお茶づくりについては、その多くをやっさから学んだという。

    「師匠のやっさは生まれつき身体が弱かったということもあってか、健康であることや美味しさの成り立ちへの探究心が人一倍強い人なんです。農薬も化学肥料も一切使わず、土づくりから研究していますね。土や土の中で生まれる微生物の生態系、土のもとになる石というように突き詰めていくうちに、お茶は宇宙の産物だという話にまで繋がっていくんですよ。私自身はまだその境地まで行き着けていませんが……。でも、他人の茶葉を預かって製茶したり、茶畑を管理させてもらうにあたっての心構えを最初に教えてもらえたのはよかったです。『そんなんで他人の畑やれると思うな。もっと丁寧にやらないと!』って。今[ヨアケ茶園]として出しているお茶も、やっさのお茶です」

    茶畑もかりそめの姿であるなら

    前田さんにそのお茶を淹れてもらう。目立った渋味や苦味はない。旨味がガツンと来るわけでもなく、衝撃的というお茶ではないかもしれない。けれど、飲み込んで少し経つと、「なんか…なんだ…?」と、深い味わいにまた戻りたくなる。人で例えるなら、毎日をともにしたい人。包容力というか、安心感があるお茶。「恋愛というより結婚したいお茶」とはこのお茶を飲んだお客さんの言葉だそうだが、たしかにと頷ける。

    中井侍に住む人たちにとって、お茶は日々を共にする、なくてはならない存在だ。朝起きてから飲み、午前の休憩に飲み、お昼に飲み…1日に10杯飲むのもふつうなのだという。調子の良い日はもちろん、食べ物が喉を通らないような具合の悪い日も、お茶は飲む。日常を共にするお茶は、中井侍の人にとって“生き方”そのものなのかもしれない。

    今年の夏には地域おこし協力隊の任期を終えることが決まっていた。しかし、茶摘みの時期にひとりの農家さんが亡くなった。そのことが、今も前田さんがここにいて、[ヨアケ茶園]を始めるきっかけに繋がったのだという。

    「村全体で高齢化が進み、70代、80代の方が多くいる中で、いつかお別れする時が来るのは分かっていることです。中井侍に来たばかりの頃は、そのことをわざと考えないようにしていたところがありました。でも今年の茶摘みの時に、亡くなられた農家の方がいて。突然だったのですが、亡くなる直前までお茶を飲んでいました。お葬式に伺ったら、茶香炉でお茶が焚いてあって、写真も全部お茶畑にいる写真。お孫さんがお話しするのも、おじいちゃんとお茶を摘んだ思い出。その人が生きてきた人生の中にはいつもお茶があって、その人とお茶というのは楽しい思い出として他人の記憶の中に生き続ける。それってすごいことだなと思いました。茶畑が今の代でなくなってしまうかもしれないとしても、それを悲観して目を背けることは違うのかもしれないと思うようになりました」

    今ある茶畑はなんらかの形で残っていくかもしれないし、ゆるやかに閉じていくかもしれない、と前田さんは自覚している。そして、それもこの自然の中では仮初の姿だという大きな視点で捉え、前を向いている。

    「この先、自分もどうしていくのかはわかりません。けれど、どんな形になったとしても朝は来るし、夜は明ける。人がいなくなったら森に戻るだけですし、その間、楽しいお祭りができたと思えば、悪くないんじゃないかなと。だから、今お茶をつくっている人が『お茶をやっていて良かった』と思えたらいいなと思っています。お茶と、お茶を育てる人をそばで見守るように生きていけたら」

    前田美沙|Misa Maeda
    1990年、富山県出身。長野や沖縄で農業に従事した後、2018年長野県下伊那郡天龍村の地域おこし協力隊として入村。長野県唯一の茶産地、中井侍のお茶づくりに魅せられ、協力隊としての任期を満了した今年8月以降も、[ヨアケ茶園]を旗揚げし、同地域のお茶づくりを支えている。不定期で出張茶店も行う。
    instagram.com/nakaichamurai

    Photo: Yu Inohara (TRON)
    Text: Moe Nishiyama
    Edit: Yoshiki Tatezaki

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